すばらしい

こういうことにぼくの支点がある。ほかの誰でもないぼくの

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懸命に仕事する人間は、誇りと恥の意識を同時にもつのではなかろうか。同時にである。 「労働者のように仕事してきたが、これで神の前に出たらどう言われるかわからない」 というルオーの言葉は、このことでもあろう。 模索し探求する人間の真実である。 

 

 ぼくはまったくいつまでたってもどうしようもないな、といつも思うと同時に、いまにだれも ぐうの音も出ないようにしてやる、という覇者の気概が沸々としている。 どちらも本音である。   こんなことしていて、という気とともに、これしかない、という気持。 何十年経っても人間の深歩というものは微々たるものだろう。  「人間の一生の本質は変わらない」という高田博厚の言葉は、恩寵のようにみえてじつはおそろしい。 彼の彫刻も、渡欧直後のものと、帰国して鎌倉に落ち着いた時代のものと、ほとんど変わらない(むしろあまりに同一である)と言えば言えるのだ。深化した実体はある。それは自然の経過のようであり、劇的な変化など微塵もない。自分の実体に関して、じぶんの自由になるものなど皆無である。一生かかって一歩あるかないか、である。そのために懸命に漕がなければならない。     

 書くことによって、ぼくは高田博厚と同じことをしているようだ。 

 

生の痕跡をとどめること、これは怪我をしなかった者にはわかるまい。そうしながらぼくはおのずと生を越えることを、痕跡をも越えることをしている。ただでさえ怪我〔薬害〕で擦り減っている神経を使って