2016年のこの節を初再呈示

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ロダン以上に傑出しているのではないかとすら思われることもある女性彫刻家カミーユ・クローデル(1864.12.8-1943.10.19)は、のちに精神分裂病となったそうだが、自分の仕事を認めない母親との間に生涯確執があったという。ロダンとの恋愛の破綻が「病」の引き金になったと一般には推測されそうであるが、そしてそれは決定契機になっただろうとぼくもおもうが、この種の「病」はその現出に幾重もの条件が織り込まれているだろう。遺伝子的条件、人生体験的要因、そのほかに、この世の背後にあって世界現象に影響する霊界の動き(これはいまだに「公認」されていない)、が、当事者各々において異なる割合で、場合によってはこれら条件の一つ或いは幾つかはまったく関与しないかたちで、組み合って起こるのである。ぼくはここで、彼女と母親との生涯的な精神的確執を、ロダンとの関係破綻に劣らない可能的要因と見做す気持を抑えがたい。ロダンとの関係は、肉親であるゆえに強制された「精神的疎遠者との心的繫がりの苦痛」から解放してくれる意味合いをも、彼女にとって持っていたにちがいない。それが成らず逆の結果になった彼女の心中は想像しても深刻に痛ましい。この種の「病」の根底背景には、肉親者との精神的決裂が、常に背後で密着しているらしい霊的関係性の次元にまで反響して起こる、「霊的次元の歪み」があるのではないかと、ぼくは普段から勝手に推測している。種類の違う「病的現象」が一括して同一名称のもとに括られていることは、すでに精神病理学者としてのヤスパースが明かしていることである。だから、カミーユ・クローデルの場合、どういう要因の組み合せ比率において「発症」したのか、もちろんぼくは知らない。要因様態の可能性を思惟しているにすぎないが、文豪で外交官の実弟ポール・クローデルも、姉を数年に一度見舞うのみであったというのは、彼は最大の姉の理解者かつ擁護者であるべき存在であっただけに、何とも淋しい。みずからは「神へと至る鬱蒼とした大街道」(高田博厚の評言)を歩む者であった彼は、運命により縁を与えられた、最も身近で深い魂である姉、彼の像を幾度も創るほど彼に感情を向けていた姉の存在を、もっと自らの存在と一つに結びつけていてあげるべきではなかったか。





 

 

 

 

 

 



ここでぼくはポール・クローデル批判などしていない。痛切に、ポールとカミーユを、ぼくの愛が語らせた  ぼくはぼくの愛の思いを、愛の決意として自分に語った