初再呈示

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最近、内的精神的に第三者的他者の作用を拒否できるようになって、気づいたことは、直接的な寛容というものは どうもありえないのであって、自分への他者の作用を拒否できる分だけ、その他者に寛容にもなれるようだ、ということである。徹底的で或る意味冷酷な拒否を媒介してはじめて、寛容にもなりうる。寛容は、強者のものである。真の強者すなわち人間の本物になれないうちは、寛容は偽物なのである。これは気づいてみれば明晰判明な真理なのであるが、はたしてこの世に何人そういう域にほんとうに達している者がいるか、と、率直に言って思う。 

 

忠実であるべき自分自身が見いだされていないのに、自我の可能性の放棄から寛容であるなどというのは、およそ意味のないものである。そうぼくは思う。

 

 

第三者的他者に関しては、相手を否定できる分だけ、その心持ちが察せられるゆとりが生まれる、ということである。