なぜぼくは自著『形而上的アンティミスム序説』(事実上の高田博厚論)を、高田さんへの崇敬を共有する中村雄二郎氏に送らなかったのだろう。それは、ぼくが、そのくらい、高田さんとの純粋共鳴の内的世界に満たされて、ほかを必要としない孤独な充実の境にいたからだと、いまでは思う。

 

 

 

それに、氏は、ぼくがそれに先立って献本した仏語博士論文に、何も言わなかった。それには、他の人間関係との捻れがあったと推される。それはここでは言わない。最も読んでほしかった氏に高田論を送らなかったのには、そういう伏線もあったようだと、いまにして自分のことに気づく。

 

 

 

じつは、今度の『稜線の路』を献本したい方がいらっしゃるのだが、前後の事情を述べずに本だけあっさり送ろうと思う。じぶんのいまの築いた世界を大事にしたいから。