人間はだいたい、自分という一面性で生きており、しかもそれで手一杯、精一杯であり、そのうえ相手のことも大事に思い受け入れるという余裕、器量は無い。だから、人間関係の理想は思惟できても、実際とのギャップは埋められず、理想を実践しようとする分だけ、矛盾と偽善に終始する。自己強行と自己喪失との分極性しか生きられない。相手を自分の一面性に引き込むか、相手の一面性に自分を失うか、である。相互がそれぞれ、よほど人間性において成熟していないと、まともな人間関係など不可能なのである。(どちらか一方が未成熟でも、だめである。人格エネルギーだけは愚者も賢者も等しいから。むしろ愚者のほうがエネルギーは強いだろう。)

 

まずは、そういうことを認識することから始めること。いきなり要請など禁じ手でしかない。

 

 

ぼくも、実践的には無論未成熟。「芸術は永遠に未完」であるように。

何を意気がることがあろう。じぶんのために、丁寧に穏やかに。