学問が〇に知恵をつけると、へこまない〇になるだけである。どうしようもない。器が大事だという真理さえ埋もれさせてしまう。

 

 

 

 

君は理屈小僧なんだよ。その小僧が、ヤスパースの言葉の中から、じぶんを弁護する言葉を器用に使うことを覚えた。これは最もいけないことだ。もう誰も君を本気で相手にしたいと思う者はいなくなった。

 

 

ぼくは君を〇と言った。舐めているからじゃない。君はそれほど不快で、人間性の次元で出来ていないと思うから。

 

 

しかし、かれも ぼくのことを「見習いたい」ところがあると言ったのだから、勘弁してやるか。

 

 

 

(要請に応えるかのように公開)

 

「自己一面性」(20日)の観念はここで気づかれている