ほとんどすべての人間は、(ヤスパースの言う)「交わり」の内容以前に、その人間性に問題がありすぎて、「交わり」など事実的に不可能である。

 

 

 

たとえば、つぎの文は、実際には送らないつもりの、ある者への文である。こういう者と「交わり」はできない。

 

《ぼくは君が、ぼくの至らぬところを照らす人間だとは、全然思いません。「交わり」の相手だと思ったことはありません。意見の表明は自由ですが、君のその仕方は、内容以前に仕方そのものが、人間性に疑念をいだかせる不快なものです。実存的に益がないということははっきり言っておきます。同じ内容でも、他のひとの言うことだったら受け入れたことは大いにありうることです。「無礼で無神経」な君の人間性から出た表明は受け入れられません。君の人間性に関しては他の人々も多かれ少なかれ同様に感じていると思います。

君の言葉ですが、「議論はもうこのくらいにしましょう」。あそこでこういう言葉が出る君としても、無益ですから。》