初再呈示

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きみの演奏をきょうも聴いていた、弾くきみのこころになろうと努力しながら。そしていま気づいたんだ、ぼくのこの欄は、はじめからきみへの長い長いラヴレターだということを。ちょっと飛躍しているように思えるかもしれないけれども、順序だった想念というものは実際にはなくて、いつも全体が全体を気づくのだ。きみは、長い時間をかけて、「自分のピアノ」を誰臆するところなく弾く境位に達したのだな、と、感じた。そしたら ぼくの文章もぼくにとってそういうものでなければならないと思った。これは努力目標ではなくて、書いていれば運命的にそうなるものだと思った。きみがピアノで「自分のかたち」に努力と運命(必然)で達したようにね。書くことも、そのようであらざるをえない、努力して、と そう思った、気づいたの。これは「芸術」の本質だね。「根限りやったら自分しか出ない」という高田先生の言葉が響く。これが芸術であり、書くことも そういう「自分」が出るかぎり芸術なのだ。これが魂のいとなみなのだ。きょう、きみの演奏を聴いていて、優しいきみがそんなに臆することなく「自分」を出して演奏できるのは、長く一生懸命ピアノを修練してきて、ついにこれが「自分のかたち」だという境位にまで達したからなのだと理解しました。きみの演奏における堂々とした優しさと強さは、それだけの土台の上に成っている、と思ったの。それに気づいて、そのことを書こうと、わざとオーディオに聴いていたきみのCDを入れたまま、電源もそのままにして、このPCに向ったのですよ。 そうそう、最初に言った、この欄そのものがきみへの長い長いラヴレターだということ、これはもうダイレクトにわかってもらえることではないかなと思います。だって、愛の告白は、何をもってするのでしょう、自分の全体をもってですよね。そして、何かをつくることの動機は、最初から、誰かに、それも、愛する誰か、ほんとうに愛するひとに、見てもらいたい、そのひとと自分を共有したい、ということではないでしょうか。きみも、きっと、同じ気持ちで、ピアノを弾いてきたんだよね、成功するとか、そんなんじゃなく ・・・ だから、こんなにも、「心から心へ」直接に伝わって、いまも、書いているぼくの目からは涙が滴りおちています ……  

 

 このような「自分のかたち」に達した真面目で真摯な、努力を継続してきたきみを、こころから尊敬します。そういうきみを感じてこそ、ぼくはきみへの愛に見舞われるのです。 

 

 

 

 暑い季節です。どうかお気をつけてお過ごしください。