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真実は昔から言われている。読まれていないだけだ。信仰を持っているつもりの者によってさえも。ここに書いてある通りのことをしながら。

 

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集合容喙連は中世からいる。この連中が死後悪魔になり生者を操るのだ。聖ベルナールの痛烈な言葉を「集合容喙」の枠で紹介する。

 

『真似るのではなく、やり込めるために隣人の行動を監視したり観察したりする人がいる。かれらは他人のうちに美しいものを見いだすと苦痛を感じ、悪いものを見いだすと満足する。舌にまかせてお喋りにふけっている。ある者は他人に絶対喋らせない。一息つくこともなく、中傷したり悪口を聞いたりする執念はすさまじいものだ。かれらは悪口を言うために非常に固く結束し、分裂をもたらすために団結している。仲間うちに非常に有害な友情を形成し、悪口という共通の情念にかりたてられて憎むべき徒党を結成している……かれらは互いに悪魔の杯をわかちあい、飲むために徒党を組む。ある者の舌が滅びの毒を広め、他の者の耳は喜びをもってその毒をうけとる……

 陰口という悪徳は全く特別な仕方で愛すなわち神に対立している。実際、陰口を言う者は、なによりもまず自分が愛を失った者であることを示している。それから、陰口を言う者はその陰口によって自分の話を聞いている人々の目に、自分が中傷している人物を憎むべき軽蔑すべき者にしてしまう事以外の何を企てるのか。この憎むべき口は、かくして耳を傾ける人の愛を傷つける。力の入れようによっては、愛を完全に殺し、消し去ってしまい、そしてこのことはその場に居なかった者すべて――かれらにもそこで語られたことは知らされるであろう――についても同じことであろう。

 非常に多くの魂が、あっという間に広がるたった一言によって引き起こされるこの悪のけがれにいとも容易にたちまち染まってしまうということをよく考えなさい……たった一人が言うと、それは一言でしかなくともこの唯一の言葉がたちまちそれを聞いた多くの魂を死に至らしめるほど傷つけてしまうのだ……

 この中傷者というペストには、さまざまな種類がある。ある者どもは皮肉まじりに恥じらいもなく、陰口の毒をまきちらす。まるで、心の中にあるものがそのまま口にのぼってくるように。これに対して他の者どもは、自分たちにとりついていて自分たちの内に留めておくことのできない悪意を、見せ掛けの羞恥心という偽装のもとにつつみ隠そうと努める。ごらんなさい。かれらは深い溜め息をつき、それから、いやいやながら押しきられたかのように、悲しそうな顔で目を伏せ、呻き声で悪口を口にする。人は、かれらがしぶしぶ、そして、悪意よりはるかに同情から話しているとしかみえないだけに、ますます簡単にかれらを信じてしまうのだ。「全く、」とかれらは言う。「わたしはひどく心配しているのだ。あの人をとても愛しているからね。でも、かれのあの点を改めさせることは今までできなかった。」そして他の者が付け加える。「それについてはよく知っていたよ。でもこれまで話したことはなかった。しかし、誰かがそれをあからさまにしてしまったからには、それが真実だということをもう隠せない。それを言わなければならないのは残念だが、事実そのとおりなのだ。」そしてこう続ける。「全くつらいことだよ。あの人には別の面でいいところが沢山あるのに、だがこの点に関しては真実であると認めざるをえないし、かれを見逃すすべはないのだ。」』

 

まるで人間の市を描いたルオーの辛辣な版画絵を想起させるではないか!

 

 

自分の経験から、集合容喙現象は人為技術と悪霊との結託によるとぼくは基本的に思っており、そこに明確な境界線は想定していない。此の世に生きる人間としては、合理的に攻めることのできる人為技術の摘発から攻めてゆくことが正しいと思う。