初再呈示

 

やはりヘルダーリンはすばらしい天性の思想家だ 

 

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《人生にはいくたびか偉大な時というものがある。われわれはそれを仰ぎ見る、未来と過去の巨大な形姿を仰ぎ見るように。われわれはそれらの時と壮烈な戦いを戦う。そしてもしわれわれがその戦いをもちこたえれば、それらの時は、それ以後は姉のようにやさしくなり、われわれを見捨てない。》

 

ヒュペーリオン 70頁 

 

 

ヘルダーリンはどういう精神境位で、この思惟する前に感動させる一節を書いたのだろうか。これを冒頭の一段落として、彼の素晴らしい、「中庸」を結晶語とする、人間となるための教育論がつづく。人間は、強制がすぎても放恣がすぎても、真の人間とはならない。アテネなどの古代ギリシア人たちは、自然風土上も、中庸に恵まれていた。かれらを打ち負かさず、甘やかさなかった。 ここにヘルダーリンの論を記す必要は、ぼくのためなら、ない。そこの頁を読めばよいのだから。ただ彼の見識に敬服する。 数頁後の言葉を書き留める: 

 

《人間が人間になるならば、彼は神の一人なのだ。そして人間が神の一人であるならば、彼は美しい存在であるはずだ」》

 

同 72頁

 

同頁上段の忘れえない言葉も:

 

《人間の生まれながらの素質がまだ成熟しないうちに、陶冶と技術が始まるのは、時期尚早というものなのだ。生まれながらの素質は、児童が学校へ行かないうちから、その全き姿をそこなわれてはならない。それは、幼年時代のおのれを思うことによって、学校の紀律の世界から全き姿の天成の状態への復帰の道が、各人に開かれてあるためなのだ。

「スパルタ人は永遠に断片の域を出なかった。完全な幼な子でなかったものは、完全な成人になることはできないのだ。》