これがぼくの本質なのだ。優等生なら集団迎合者だろう。間違ってはいけない。ぼくのどこにも、そんな傾向は無い。あのヤスパースだって生徒時代から、体制にたいして反抗児だった。かれは一生、それを通したと言える。その集積がかれの実存哲学である。マルセルもそう。高田博厚にいたってはその反抗性は徹底していた。日本そのものに反抗した。だから、労働者よりも知性者そのものが、いつだって反抗者なのである。そこに知性の証がある。礼をわきまえた反抗者なのだ。そのようなすべての者に、デカルトの特性がある。

 

ぼくは、日本の高校や大学に徹底して反抗している。そういうぼくが何で優等生であるものか。じっさい、客観的にも優等生でなかった。一貫して反抗者でしかなかった。ぼくは、いわゆる真面目な人間でさえなかった。それよりも自己同一性を欲していた。そして復讐者の一面を捨てないでいる。