こんなことをじぶんが書き留めていたなんて、すっかり忘れていた。初再呈示

 

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デュ・ボスは、『我が国にあってひとりパスカルだけがシェイクスピア的な音調と音域を理解していた』、と言う。『シェイクスピアに対比して考えると、パスカルこそ彼に対してフランスがなしえた最も格調高い人間的な反応なのである。』

 

先行し、『様々な表象がそこでは整理され、互いに主従の関係に置かれる(パスカルの秩序の関係以上に壊れにくい従属関係があるだろうか)。』『他の作家の場合は、パスカルにおけるほど、観念の相互依存度が強いこともないし、観念そのものが互いに入りこみ合うということも、ありえない。』

 『『パンセ』全篇にわたり性癖と情念の途絶えることのないきわめて無意識的な偽人化が浸透している。その性癖や情念は、特定の個人から取り出されたものでもないし、特定の個人のもとに持ち寄りその人間に帰着させられたものでもなく、それとは全く反対で、ここでは宇宙的なものの驚くべき個性化のおかげである、―その宇宙的な個性化とは、シェイクスピアにおいて、時として、一般的な省察の方が、その省察をせりふとして述べる登場人物よりもずっと血なまぐさい生命感を帯びているように感じさせる、あのような個性化のことである。』

 

(「近似値」283-284-285)