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愛する存在との合一の至福感を無論否定するのではないが、愛する存在との間に距離感あるいは距離そのものを覚えるからこそ、その距離を埋めるために、人間は時空を超えようとしたり、すべての根源である神、そこでは愛する存在と自分は一つである神を思念し求めたりするという、いわば人間の制限を超えようとする内面的努力を試みるのではないか。地上的意味でただ愛する存在と一緒になった場合、形而上的根源を喪失し、その根源から来ていた情熱を喪失して、かえって幻滅することだってありうるだろう。ぼくは断定はしないが、愛のゆえに人間を超えて神を求めるに至る場合はありうるだろう。前にも触れたが、「秒速」の貴樹君と明里ちゃんが、パラレルワールドと思しき星で、巨大惑星を眺め、それから(そのあと)ふたり笑顔を交わし合うシーンは、まったく深い象徴的意味が籠められているものだと、感心する。ここで是非言い加えたいが、あの巨大惑星は、ふたりを分かつと同時に結びつけている存在、神、の象徴であるかもしれない。作者はそこまでかんがえて演出していると、ぼくはいまごろ気づいた気になっている。種子島の子と歩いていた彼の頭上にも、電線で分けられて見える月として、同じ象徴は現われていた。巨大惑星も、それを眺めている貴樹と明里にとっては、何か知らないが、一つの縦の煙か線のようなもので分けられていた。線で見かけ上左右に分けられている月と巨大惑星、これら実際は一つの天体は、見かけの分離を思念で、あるいはお望みなら理性で、克服せよという課題、同一の神を見ていることに気づけという形而上的要請の表現だろう。そういうものを作者はあきらかに意識して画面構成していると思う。高いレベルのものを単純には言葉にできないゆえに。

 

作者は、愛ゆえの形而上的信仰に至っている、日本ではめずらしいひとだろう。日本ゆえの、言葉表現の限界をも知っていて、日本人には比喩でしか言えない、と思っているのだろう。

 

作品の第一部の、最初と後半で二度言われる、「まるで雪みたい」なもの、は、地上での桜の花びらをも、実際の雪をも、超えたものである。心の、あるいは魂の目で、観るものなのだ。