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何と初再呈示。 ロマン・ロランの言葉がすばらしい。高田博厚がこの方向で魂の一元化としての芸術をルオー論において反省展開したことがよく解る。ロランと全く同一だとは思わない。高田は一元化の窮極に「神」をみていた。



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何かを創造すること、作ることによって、人間は自分を精神的なものとして生成させる。それがなければ人間はこの世と地上に這いつくばったままだろう。継続は力なりということはこの意味でこそ真である。作るものにおいて、人間は「触知しうる」 と同時に 「イデー」となる。自分をこの世をこえて高める。 

 

 では    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 クリストフの精神は、新しい世界を吸収していた休息期間を経ると、にわかに制作欲に駆られた。・・・ 作品を創りあげなければならぬ。そこで、心にみなぎる愛を、また憎悪をも、発散させなければならぬ。・・・ しかしこの対立矛盾は表面だけのことで、彼は常に変りながらも、常に同じであった。全作品は、同一の目的に到達するいろいろの道であり、彼の魂は一つの山である。彼はそのすべての道をとる。・・・ すべては山嶺に鎮座する神に達する。愛、憎しみ、意志、諦め、極限に至ったあらゆる人間的な力は、永遠に触れ、すでに永遠に参画する。人は各自おのれの中に永遠を所有している。宗教的な者も、無信仰の者も、いたるところに生を見る者も、いたるところでそれを否定する者も、・・・ そして、それら互いに矛盾するものをおのが魂の中で同時に抱擁しているクリストフも。一切の対立は永遠なる「力」の中で溶けてしまう。クリストフにとって大切なのは、この力を自分の裡、また他人の裡に目覚めさせ、・・・ 「永遠」を燃え上がらせることであった。・・・ 自分ではどのような信仰にも捕われないと思っていたが、彼の全存在が信仰の炬火であった。」

 

ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』第五巻 高田博厚 訳