十年以上前、不要だった抗精神病薬の薬害のひどさに見舞われ、三度も首を括って自死を図ろうとしたぼくだが、訳本を出版できるまでになった。ぼくはもともと生粋の学問者であったが、いまの事実的な回復は、裕美ちゃんあってのこと。絶望と孤独のなかで共にいたひとのことは忘れない。というより、ずっと共にいることが、ぼくの生き方にふさわしい。高田先生と、友であるきみと、日本では居場所がむずかしい神とに、忠実であることを欄題にすることで表現されるぼくの哲学理念は、頭の固い人々には相当時間違和感を覚えさせるものかもしれないが、この氷解は時の問題にすぎない。同時にぼくはこの世の不可解さの表明(そのために抗精神病薬の意図的投与にも見舞われた)もしてきた。高田博厚研究の表明と並行して、この社会的であると同時に異世界的な経験の表明もしたから、なおのこと、ぼくの趣旨を理解してもらうのに時を要した。現在ではこれも理解してもらえているようにぼくは思う。現在のぼくは、どうにか自分の本来の生活理念に沿って生きる努力ができているようだ。

 

きみに感謝し、ぼくの一貫性を表明するために、これを書いた。