初再呈示
- テーマ:
- 愛の修道院の路
どうしたの?
うん、あまりいい子になろうとしないのがいいね。ところがこれ(いい子になろうとしないこと)こそいちばん難しいんだ。人間なら良心的であろうとするよね、ところが良心性こそ自己中心的に相手を巻き込むものなんだ。この紛糾から脱するには、神と向き合う生活をするしかない。このことに繰りかえし想到する。人間から脱することなんだ。
わたしのことは?
きみはぼくにとって神と同位だと繰りかえし言ってるだろう。良心性の克服、あるいはもっと正確に言って、止揚、それをかんがえると、愛の成就のために聖母信仰が生まれた理由がわかる。きみへの愛はそこまで高まることに気づく。だって、そこにしか愛の居場処はないじゃないか。だから、愛は厳粛なものとなる。良心性の問題をぼくは投げ捨てることはできない。止揚するんだ。
「聖母」と翻訳しているけどね、「母」ではなく、dame なんだよ。聖なる女性。女性への愛をそこまで高める、神の座まで。ほんとうにじぶんが受け入れた女性はかならずそこまで至る。そうでなければ信仰と愛は一つとならない。信仰といっても、人間の必然的態度であり、教義信仰では無論ない。ぼくの欄で繰りかえし言ってきた。
あなたの言うことを理解するひとは少ないでしょうね。
ぼく独自の路のものだからね。だから普遍的でもありうるんだ。