神か愛か自分、これらは同じことなのだが、そういうことに集中しているかぎり、ぼくはじぶんのほかの咎を免除しよう。

 

 

とくに、人間関係一般をうまくゆかせようと思っているから、ストレスや自己疎外が生じる。人間関係一般は本来うまくゆかないものだと思いきることが大事。ほんとうに大事なことがおろそかにならないように。

 

だから、信仰とは、高田さんがみきわめたように、高度なエゴイズムなのだ。決断なしには信仰はないし、人間はない。

 

 

この信仰に徹しきれば、周囲もなんとなくぼくを了解するという希望が感じられてくる。