他人とは、じぶんと関係は無いのに、容喙してくる者たちだ。ぼくの志は、この他人を拒否してじぶんの王国を建てること。こういうことが、読書も止めて数時間ずっと省察していて明らかとなった。デカルトとリルケが合体したような個人主義、そういうものがぼくの志として自覚されたのだ。あらためて、と言うべきだろう。ぼくはぼくの志を創造したのではない。日々の行為で散漫になってい易いぼくの運命・必然性としての志を確認したのだ。さて、そういうぼくがマルセルの戯曲などを翻訳したのだ。これはじつは矛盾でも何でもない。これはいま言葉で説明できないもので、さしあたりぼくが解っていればよい。

 

 

高田博厚はなによりも自己凝視を教えてくれるところが、ぼくの志そのものと一致するのだ