初再呈示
- テーマ:
- 愛の修道院の路
これができていればぼくは精神的に健全なのだ。そのためには間主体的な恩寵が要る。これが愛なのだ。
学問としての哲学は向き合おうとするが、これは意識の壁をつくることである。 ちがった哲学があってよいし、哲学を脱ぎ捨てることができるのがよい。
恩寵においては、行為が意識に引っ掛からない状態になっている。これが、間主体性が成功(現出)している状態である。
愛のほかはすべて非本質的なものである。
愛は行動である、とは言わない。愛において人間は行動的になっている。
神経質とは、間主体的な愛の欠乏である。