人間は、義理ではなく本心に従うものである。神の法を映すと思われる義理よりも、神の法に逆らうかもしれないじぶんの本心に従う。これが実存なのである。それで、理性的ではなく実存的な神との関係が生ずる。じぶんの本心そのものが、神と関係するものなのである。だから、いわば開き直った真剣さが、本心において生じることになる。このような本心は単なる恣意でも欲望でもなく、決意に基づいている。 理性に他律的に従う安心さとは異なる深みと落ち着きがある。