名をここに出すまでもない西欧のカトリック土壌から生まれた芸術傑作を、日本人も感嘆することができるが、なら、どうして、その土壌に思いを馳せて、自らの精神的実体を省みることをしないのか。慎みの秩序に目覚めないのか。

 

 

日本の一切合切〈遊び〉の風土は、どうしても「真剣」にさせないのか。例外的単独的な志をもつ者が出るしかないのだ。