ふと、日常でもこれはできると気づいた。沈黙の行である。普通の日常は言葉で成っている。節目毎に打ち上げをやる。これを滅却すると、言葉に拠らない世界にすっと入ることができる。外部に影響されない落ち着きの世界に。すこしの契機での自己抑制で、これほどの世界に入れるとは思わなかった。言葉を行使することは言葉に影響されることだ。これが普通の日常。しかし同じ日常でも言葉から離れた日常、修道院の日常がある。これはすぐに実践できる。もうぼくは沈黙の世界に入っている。言葉を離れているから、言葉によらない創造ができそうだ。