ガブリエル・マルセル 形而上的日記 第二部 翻訳 (2023.1~)

 

翻訳

 

129頁

 

第二部

 

 

 一九一五・九・一五。— 現在のほかには、時間の起源は存しないし、存することはあり得ない。現在のみが、人が時間にたいして割当て得る、唯一の限界なのである… 持続したものである以前に与えられている時間、というのは、幻想である(空間が、踏破される以前に現存するものであるように)。時間は現実態においてしかあり得ず、空間は可能態においてのみある、と言うのが正しいのではないだろうか? 時間はつぎのようなひとつの場所とは全然似ていない。その場所のなかに諸々の意識が挿入されて、その場所との関係においてはこれら諸々の《挿入》は偶発的であるような場所とは。時間は、そのようなことの否定そのものである。

 けれども、時間の内的限界、これは時間の実在そのものなのだが、この限界は、想像力には、運動するものとして現われる ― 何の中を? かくして、ひとつの〈時間-場〉という観念が生じるのだ。

 

 一九一五・九・一八。— … 時間が客体として思惟され得るのは、空間と共にのみである。しかし空間は時間の中でのみ与えられ得る。

 時間は我々にとって運動によって象徴される。運動はそれ自体、踏破された空間によって象徴される。だがその場合、人は本質的なものを捨象している。適語が無いので私はそれを現勢性[actualité](現存在に対応する)と呼ぶ。

 

 一九一五・一〇・一五。— 予知能力[divination]の可能性は、思惟をその観念〔としての〕対象に集中させる関心の本性[nature](度合いではなく)と繫がりがある。しかし他面において明らかなのは、関心というものの客観的力学は、それ自体において不可能である、ということだ。この関心というものは、実在している必要がある — そしてこのことは、量についての言語のなかでは表現し得ない。この意味するところは、むしろ、精神がそこに全的に参与していなければならない、ということである(単なる好奇心は、好奇心が消すことのない気掛かり事の只中で、孤立したままのものであるから)。ゆえに、本質的〔に大事〕なことは、観念の、精神それ自身への、緊張した関係[le rapport de l’dée en tension à l’esprit lui-même]なのである。

 

 一九一六・四・二。— … 今日、この明るくて素晴らしい春の日に、私はふと気づいた、《オカルト》と言われる学の諸概念、この諸概念に対して(130頁)《理性》は反抗する振りをするのだが、この諸概念は、実際には、我々の最もありふれた… 最も公認された諸経験の根元に存するのである、と。そういう経験とは、感覚的経験、意志の経験、記憶の経験である。意志が示唆として《作用する》こと、言うなれば魔法のような示唆として作用することを、誰が疑うだろうか? そして、諸々の物体は、表出とは言わないにしても、現出であり、物質化ではないだろうか? そして最後に、記憶の経験は、時間の事実的かつ実在的な否定を含意してはいないだろうか? これらすべてのことは、あまりにも明白である。我々の心理学の薄明にとって、あまりにも明白なことである。

 

 四・一三。— … 間違いなく私は現在、つぎのように思う傾向にある、すなわち、心理学の中心的な諸々の謎、それらの謎を我々の現代の科学、その見かけ上の慎重さは就中、怠惰と臆病さで出来ているのだが、そういう現代の科学は、慣習あるいは要請を用いて塞ごうと試みているのだが(私は就中、並行論のことを思っている)、そのような謎が解決され得るのは、全く[extra]心理学的あるいは基底[infra-]心理学的な観点によってでしかないであろう、と。かくして、内界と外界との間の神秘的な関係は、全然交渉し合わない諸世界相互の全く抽象的な関係として理解されねばならないどころではなく、〔この神秘的な関係こそ〕多分ひとつの中心 — ひとつの本質的な事実であって、この事実と比べれば、それらの世界そのものが抽象でしかないであろう。このこと〈この考え〉は間違いなく新プラトン主義のなかに在るものであり — また、とりわけベルクソンにおいても在るものである。だがベルクソンは、彼が心理学のものではない或るものに向かって導かれていたことに気づいたであろうか — その或るものは彼岸のものであろうか? 確かに正しいことは、彼にとって物体〈身体〉は物質化であるということだ。しかし彼はこのことが導くすべてのことを充分に観じたであろうか? 彼の態度にはまだ内気さ〈遠慮〉がある。記憶についてのあの深遠で理解し難い理論においても同様である(それどころか事は更にもっとはっきりしている)。

 … 保存する、とは、どういうことか? 保存という観念は、共時的である[synchronisme]という観念を、より正確には、複数の並行する持続[durées parallèles]という観念を、含意している。保存される或るものとは、印として役立つ他のものと同時に持続するような或るもののことである。「〔複数の〕並行する持続」ということで私が理解しているのは、目前の諸客体のうちの一つの客体の一状態に、いつも、他の客体の共時的な一状態を対応させることができる、ということであり、かつ、この他の状態に関する確認が前者の一状態を発生させるのでは全然ない、ということである。ベルクソンは純粋記憶の保存について語りながら、並行する持続という観念は、身体と記憶とに適用できる、と提起しているが、これはつまるところ、記憶は現に存在している、と言っているのにほかならない(記憶が現勢するにせよしないにせよ、である)。言い換えれば、現勢化は、現勢化された記憶〔そのもの〕と比較して、偶発的なものであることは、(131頁)ひとつの出来事の客観的な確認がこの出来事〔そのもの〕と比較して偶発的であり得るのと同様なのである。

 

 四・一四。— 問題はつぎのように定式化される、すなわち、何か或る時間的な一続きのものが複数与えられている場合、これら一続きのものの間には、つぎのような関係が存在するであろうか? と。この関係というのは、これら一続きの中の一つにおいて作られた各切断面に、他のすべての一続きにおいて、共時的な一切断面を理論上対応させることが出来るような、関係なのである。

 解決は、規定という観念を深めることに存すると、私には思われる。すなわち、もし、これら一続きが、相互の間で同類な諸規定に関係しているなら、あの共時状態[synchronisme]はまさしくあり得るものであることは、確かである。しかし、もし、このような諸規定が同類なものでなければ、問題はすべての意味を失う。掘り下げなければならない。

 

 五・四。— 今晩は、驚異的な密度で、つぎのことを《実感した》:

 一.  感覚[sensation](直接的な意識)は無謬であって、感覚のなかには誤謬のいかなる余地も無い。

 二.  この意味において信仰[foi]は感覚の本性を帯びていなければならない(この意味において形而上的な問題は、思惟によって、そして思惟の向こうに、ひとつの新たな無謬性を、ひとつの新たな直接なものを、再発見することである)。

 三.  感覚の〔有する〕直接的なものは、どうしたって、ひとつの失われた楽園である。感覚の弁証法、感覚の演劇は、反省され、解釈されたものでなければならず、このことによって、間違いというものが生じ得るのである。間違いは、反省とともに世界の中に登場するのである。だが他方、反省されていない感覚というものは、誤り得るものの次元以前のものである。

 問題なのは、知性作用[intellection]が、思惟の次元において、感覚の直接的無謬性を共有していないかどうかを知ることである。実のところ、すべての反省、すべての弁証法は、この直接的無謬性を消去するものに、抗し難く引き寄せられている — そこではこの無謬性が自らを否定するところのものに。

 

 五・一四。— 今日、私は、混乱してはいるが強力な仕方で、つぎのことを理解した。すなわち、諸物体[les corps]の実在性は、介在の実在性でしかなく、そうでしかあり得ない、ということ。諸物体は互いに介在し合い、介在され合う、ということ、をである。事実、身体[le corps]は機能として、結び合わせることと分離することとを同時に有する。しかし身体は何を結び合わせるのか? 何を分離するのか? ここに謎は充満している。共通感覚あるいは科学の所与〈データ・既知事項〉では、あきらかに不充分である。私に分かるすべては、つぎのことである。すなわち、結び合わせるもの(あるいは分離するもの)は、結び合わされるものと、いわば同類でなければならない、ということである。ゆえに、身体は、思惟によって、例えば心的なものと空間的なものとを結び合わせるものとして理解されることは出来ないのである。身体が思惟を空間世界に結び合わせるのは、思惟が地歩[position]である限りでのみ(132頁)(ところでこのことは甚だしく曖昧なことである)か、もっと言うと、外的世界が空間から逃れる限りでのみである。こう言うことも同様に明晰ではないが。もっと先へ進まなければならない。つまりこういうことだ: 身体が空間的なものを空間的なものに結び合わせるのは、身体がそれ自身空間的なものを有している限りにおいてであるのなら、身体が心的なものを心的なものに結び合わせ得るのは、明らかに、身体が心的なものを有している限りにおいてのみであり、身体が感覚力を担って[chargé de sens]いる限りにおいてのみ、身体が感覚機能[sens]である限りにおいてのみである…

 

〔訳者註: 1916年の以後の日記が空白になっている。1916年冬から翌年にかけて、マルセルは超心理学的体験をしたらしい。〕

 

 一九一七・一月。— 無神論はひとつの裏返しの神義論であり、展開のまずい護教論である…

 人間が神について発するあらゆる判断は、人間に舞い戻る。《汝は存在しない》、これは人間の評決である。そして、この評決を宣言する彼 — 彼は、それでは存在するのか?

 

 一九一七・二月。— 不死についての覚書。

 私に決定的に思えるのは、二つの仮定が、あるいはむしろ二つの態度が、そして二つのみが、不死の問題に面しては可能だ、ということである(ここに、無論のこと、「門-剣」[Porte-Glaive 1]の最終場の深い意味がある)。〈1. 「聖像破壊者」の第一版。〉第一の態度は、二年前にはまだ私の態度だったものであり、この態度に私は多分立ち返るであろう — アベルの態度である。すなわち、不死の真理というものは存しない、というものであり、実際、不死〔の真理〕は、定義〔しようとすること〕によって、あらゆる可能な検証から逃れてしまう、とするものである。彼岸に関する検証というものは、不死をこの世の次元に逆戻りさせる。ゆえに、不死は信仰によってしか、そして信仰にとってしか、存在しないのである。精神的秩序とは、我々はこの精神的秩序を物質の偶有性に対比して超越的なものとして思惟するよう義務づけられている、というものである。我々はこの精神的秩序に、この秩序をそういうふうに思惟することを条件としてのみ、参与するのである… 不死への信仰は、「神」[Dieu]への信仰と同様に、我々の自由の行為そのもののなかに含まれているものだろう。ただ、認めなければならないことは、このような形の許では、〔この問題は〕曖昧であることである。すなわち、この精神的秩序は、単に諸理念の永遠性ではないのか? しかし私が先へ進むほど、確信することは、不死の問題は個人的な言葉遣いで提起されなければならないということだ。ヘフディンクの語る諸価値の保存、これは重要なことではなく、それどころか私には、あの言葉どもが何か意味を示しているのかさえ、実際にはそれほどはっきりしないのだ。あるいは、私は〔いわば〕合法的に要請するが、私が断定するところのものは、結局、ひとつの抽象的で空虚な原理でしかない — あるいは、私は、どちらにせよひとつの事実である或ることを断定するが、このことを私は要請する権利があるのか? この問題は私に何年も前に既に提起されていたものである。私は、どんな条件でひとつの純粋思惟が要請をすることが出来、それはどんな限界のなかで出来るのか、と、しばしば自問したものである。はっきりしているのは、事実という観念はここではとても曖昧なままだということである。私は言うことが出来るだろうか? 未来の生は(133頁)ひとつの事実である、と — 来夏に私がするであろう — あるいはしないであろう — 旅行と同じくらい不確かな事実なのに。どうやって、この軽率な実在論から逃れるべきだろうか? 内容の無い断定体系に嵌まり込まずに。私はこの板ばさみを、愛に訴えることによって乗り越えようと試みたことがあった。《愛は自らの対象が永遠であることを欲する》と唱えることによって。しかし、ここではまだ多分、我々はどちらつかずの状態なのである。おそらくは、愛する者は、愛されている存在の実在を時間の外に、時間の上に、置いているだろう。ところで… これは「砂の宮殿」の問題であり、この問題は悲劇的なまま残っている。私には、祈りのなかにこそ、祈りという観念のなかにこそ、一種の神秘的な解答が存するように思われる。この解答は甚だ深いものなので、私はこの解答を完全には把握しないでいる。祈ること、それは、他者たちの実在が、私からは独立したものでありながら、それでもいくらかは、私がこの実在を措定する行為に依存することを、要請するものである。〔つまり、祈ることは、〕私の措定行為が、いわば、この〈彼らの〉実在に貢献するものであることを、要請しているのである。それに、とても確かなことは — 最も単純に心理学的な意味において — 我々自身が、かなり、他者たちの思惟によって作られている、ということである。

 〔不死の問題に面しての〕第二の態度は、もっとずっと明晰な態度であるが、ロッジのそれである。どんなに逆説的にこのことが思われるかも知れないにしても、この第二の態度は、私には根底のところでライプニッツの態度と一致するように思われる。先程の超観念論的な意味にではなく、実在論的な意味に解された不死は、絶対的に個人的なものでしかあり得ない。アリストテレス的な主張を弁護するのは、私には難しく思えるのであり、この類の主張は、第二の態度にとって何の意味も無いものである。ロッジの実在論は、確かに私をもう少したじろがせるものである。だが私に習慣づいているのは…

 

 一九一七・二・九。— テレパシーに関する覚書。

 すべての意識伝達[communication de consciences]が一般に含意しているように思われること〈もの〉:

 1° 自らにとって明確に表現されたひとつの思惟。私の理解するのは、自分自身を意識する思惟のこと、自分自身と意思疎通する思惟のことである。

 2° この思惟をひとつの物質的体系へ変換すること。この体系は記号として機能し、物質の一般的法則に従うものである。

 3° 何らかの伝達の環境、仲介作用体。

 4° 最初の〔物質的〕体系を(あるいは、この体系を再現するひとつの体系を)、ひとつの思惟へと再変換あるいは再転写すること。

 5° 最初の思惟と多かれ少なかれ同一であるこの思惟が、他の意識にたいして現われること。

 この観点からは、自発的〔で自然〕な表現、普通の言語活動、手紙での往復書信、有線あるいは無線の電信、こういうものの間に、関心を惹くいかなる差異も存しない。すべての場合において、適合した装置によってメッセージがキャッチされ、再転写される必要がある。

(134頁)

 我々がテレパシーの実存〈実際に存在すること〉を、〔本来〕可能な議論無しに承認すべきであるように、承認するならば、我々は完全に新しい何かに直面していることになる。事実、困難は、普段思われているであろうように、伝達作用を有する場や因子に関するものではなく、つぎのような問題に関するものなのである。すなわち、メッセージの到着と発信にはどうしても介在しなければならなかった、取決め事の暗号やシステムは、ここ〔テレパシー〕では欠けている、という問題である。つまり、どうも、メッセージが存するのではなく、「視ること」[vision]が存するように思われるのである。この点が深く問われなければならない。事実、おそらくこう反論されるだろう、ひとつの取決めのシステムが存するのだが、そのシステムは全体としては暗黙のものとして留まっているのだ、と。こういうもの〈こと〉はいかなる意味も呈示しないと、私は思う。私が強烈に何かを思念している、あるいは、ある何らかの状態を体験している、と仮定しよう — そして、私が、当の思念あるいは状態がイギリスに居る私の友人に伝わるように祈願する、としよう。もし〔ここで〕、是が非でもひとつのメッセージの伝達が存することを人が欲するのなら、つぎの事どもを想定する必要があるだろう:

 1° 私の思念が、ある特別な霊的放射力を与えられていること。

 2° この放射が、全方位的に為されること、ただし、この《波動》は私と協和している存在〔者〕によってしかキャッチされないであろうこと。

 3° この存在は、正確に言えば、私が私の状態あるいは私の思念がそれへ伝達されるように望んだところの存在であること。もっとも、この〔存在の〕意識があるひとつの意識によって規定されることを仮定するのは、最初に措定された原理に反することであろう。この意識は与えられているのでなくてはならず、メッセージの放射に先立って現実存在しているのでなくてはならない1。〈1. 私の意識と私の友人の意識との間にあるひとつの媒介作用をもつ意識を介在させたところで、得るものは何も無いであろう。というのも、いかにして私はこの媒介者と伝達し合うのかを知るという問題が、新たに措定されるのであるから、等。〉

 4° この霊的放射、あるいはむしろ、この放射によって生み出される有機体の変容は、それ自体、《名宛人》によって、意識の言葉に再転写される、ということ。この再転写〈再書き替え〉は、彼が暗号を有していない(私もまた暗号は有していない)だけでなく、彼がその上、問題の放射によって彼の有機体〈身体〉に生み出された効果[effet]をまったく意識していないのに、行なわれるのである。

 誰がここに、テレパシーを往信〈通信〉の一形式として、メッセージの一つとして見做すための、くたびれさせる構成が、苦しくて余計な努力が存するのを、見ないであろうか。一方の者の思惟が直接に他方の者に押し当てられるのであって、後者に伝達されるのではない、ということを、根拠の無い要請を思いきって投げ捨てて承認するほうが、遙かにもっと単純であろうというのに。それにまた、(135頁)多分稀にであるが、否定できない、つぎのような心理学的経験が存しないであろうか、すなわち、精神が他の精神とひとつの思惟を共有していると意識する、という経験が。これ〈この経験〉を私は精神的接触[le contact spirituel]と呼びたいと思う。ようするに、ひとつの観念が、原初的に〈もともと〉私の観念ではない、ということ、この観念自体が全然《個人のもの》ではなく、副次的にしか限界づけられておらず、帰属化も局在化もされていない、ということが、あり得るのである。この局在化は、観念というものの一種の内的な欠陥のせいであるかもしれない。ようするに、ひとつの観念はひとつの意識以上のものとして自らを位置づけることは出来ないのだ。私はこう言おうとしたのである、すなわち、我々が自らを位置づけることが少ないほど、我々はいっそうよく存在するのだ、と。だが、このことが本当であるとは、私は確信していない1。〈1.少なくとも、ここまで述べてきたことは、人が諸々の意識をひとつの意識の内部の諸々の観念と比較することによって、明らかとなることである。これら諸観念は、これこれのものとして規定される諸意識が現われるなら、相互に直接的な関係に置かれ得るものなのである。〉

 

 一九一八・七月。— すべての評価というものは、可能な交換に拠るものであり、ゆえに、自ら以外の他のものと通約され得る〈約分できる・同じ単位で計れる〉ものにしか関わらない。

 それにまた、評価の問題は、創作者にとって、彼を自らの作品に結びつける絆が解かれた場合にしか、提起されない — 創作者がもはや固着していないものにとってしか、あるいは正確には、もはや創作者に固着していないものにとってしか。

 ゆえに、この全く相対的な意味においては、評価〈価値〉は、交換可能なものにしか存しない。すなわち換金できるものにしか…

 しかし愛は、反対に、唯一のものに関わるのである。〔つまり〕自分としか共通基準を持たないものに関わるのである。すなわち、愛の循環論法…

 神秘なものとは、存在するあらゆるものに、無限な価値を明らかにするものであろう。いかなる交換も、いかなる代替も、受けつけないのである… 「存在」[l’Etre]とは、「愛と存在」[l’Amour et l’Etre]の外に思惟されうるものだろうか?

 

 一九一八・七・二三。— 感動は、多分、内に秘められた行為でしかなく、《外に発せられる》[≪sort≫]ことのない行為でしかない。

 興味を惹く示唆がある: 一つの規定的な現在と幾らかの数の未来との間には、つぎの〔場合の〕関連と同じ関連が存することがありはしないだろうか、すなわちこの〔場合の〕関連とは、ひとつの創造的な想像力の内懐(ぶところ)で、同時に、いわば繋がって見いだされる諸観念相互の間に建てられる関連であり、しかもこれら諸観念は相互に継起的にしか展開されないように定められている、という場合である(例えば、ひとつの劇の諸場面である。私は、私の劇の第一幕と第五幕の一場面とを同時に見いだす〈思いつく〉ことがあるのである)。言い換えるならば、純粋な即興曲であろうところの一つの宇宙という(ベルクソン的な)観念と、時間の内で一つの永遠な内容を展開するであろうところの一つの世界という観念との間には、ひとつの可能的な媒介するものが存するのではないか? かくして、予言〔すること〕[prédiction]は、この予言を理解し得るために、(136頁)完全な歴史的先規定[prédétermination]なるものを信じる必要は無いままに、厳密に理解可能なものであろう。結論として、この観点からすれば、ある点まで互いに含み合う諸状況[situations]というものが存することになろう1〈1.より正確には、互いに他方の通路になっている。〉 — 〔そして〕この含み合いは、この諸状況相互の間にいわば諸々の余白を残したままにしているのである(ひとつの歴史〈物語〉において、その始まりと一二の先行する挿話と、そして—おそらく—終結しか知られていないような場合の、そのような歴史において諸々の余白が存するように)。この想定は諸々の困難を引き起こすことを、私は認めないのではない — とりわけ、歴史の具体的な諸契機を、それらの契機のものである包含力の非常な不均等さのゆえに、その諸契機の間では相互に同類ではないものとして思惟する、という困難を。これと比較し得る不均等な展開力は、ひとつの交響曲における主導テーマと副次テーマの展開力である。言っておかねばならないのは、このことは、たぶん形而上学者には難しいだろうが、歴史家や心理学者には明白だ、ということである。命運を分かつ決定的重大事件[des dates critiques]というものが存することは確かなことなのである。

 いかにして最初の状況が後の状況を引き寄せる(呼び寄せる)ことができるのか、その間の諸状況をではなく、と問うのも当然なことである。ここでも、想像力の心理学は、それは可能なことであることを我々に示している。それどころか、こう問うことさえ当然であろう、すなわち、後の状況(歴史的な意味では未だ現勢的ではないが、形而上的には現勢的な)こそが、歴史的には後の状況を規定するように見えるであろう諸状況を規定するのではないのか、と。私は、この想定こそ、どんなに奇妙であっても、歴史というものをより良く把握させることが出来るものであるという、とてもはっきりとした感情をもっている。

 もうひとつの困難は、つぎの事実に存する、すなわち、私が状況[situation]と呼ぶものは、《当事者たち》の一人が状況について持つ意識には、あるいは、この当事者たちの意識の総和には、還元されないことは確かだ、ということである。つまり、我々はここでは、《総和》とか《併合》とかいうものがあり得ない次元にいる、ということである。この状況の統一は、この状況に《組み込まれて》[≪impliqués≫]いる者たちには、本質的には与えられているものであると思われているが、同時に、彼らの能動的な介入を許容している、それどころか呼びかけているものであると思われている。注目すべきは、このことは、すべての反省(思惟)行為に関して、それがどんな反省行為であっても、真である、ということである。そこには、《自己自身》[≪soi-même≫]という根本的に曖昧な概念に内在する何かが存するのである。私は、私自身にとって、ひとつの状況であり、この状況は私を越え出ていて、私の能動性を惹起するのである… そして無意識的なものとは、〔状況のなかに〕位置づけられている者[situé]と比較しての状況のこの超越性の象徴より他のものではないのである。人は、それでも、この状況が、(137頁)思慮に富む意識にとっての客体となる、と言うだろうか? だがこの状況は、深められた反省には、完全には客観化され得ないものであると思われるのである。もし、この状況が私にとってすっかり客観的なものであるとしたら、この状況は私の状況であることを止めるであろう。この状況が私の状況であるのは、私の〔生きる事柄の〕脈絡のなかで、私が他処で言ったように、〔私に〕《粘着し》続けるものによってのみである。神[Dieu]にとってこのような粘着は砕け散るものだと人は言うだろうか? だがそのように定義される神は私にとって何の重要なものでもなければ、私も彼〈神〉にとって何の重要なものでもない、と気づくのは容易いことである。それ〈神〉は、[toi]となることが決して出来ないであろうような[lui]でしかないのなら、何ものでもないのである。神が、非人称〈没個性〉的な真理として解されるならば、神とは、おそらく、最も貧しく最も生気の無い虚構である。神は、私が自分の〔人生の〕脈絡を客体と見做しながらそこに入り込むところの過程の、不当に現実化された限界であることになる。私は喜んで断定的に言うだろう、すべての、存在から存在への関係は、個人的なものであり、そして、神と私との間の関係は、存在から存在への関係でなければ、厳密に言えば、存在の自分との関係でなければ、何ものでもない、と。このことを私の精神に知らせる特異な経験とは、つぎのような経験、すなわち、経験的なへと変換され得るのに、神は絶対的なであり、けっしてにはなり得ない、という経験である。—— 祈りの意味〈感覚〉[sens]。—— 科学は実在的なものについて、三人称でしか話さない。

 つまるところ、この、歴史の解釈は、絶対的な目的原因論を意味するものではないだろう。条件にすぎない条件や、実際の目的に従属する手段、といったものは存するだろう。だがこの歴史解釈は、なによりも、状況の力動論という観念に拠っているであろう。この状況は個々人の運命を超越しているけれども、ある意味では、それらの運命にとって、ひとつの素材でしかないであろう。そしてこの、生ける、矛盾のある二元論は、まさに、実在するものの中心に確かにあるのである。つまり、すべての精神的な生は、本質的にひとつの対話なのである。

 学者というものは、彼を客体に結びつけている関係をすっかり捨象してしまうものである。同様に、私が誰かについて三人称で話す場合、私はその人を独立した人として — 不在者として — 分離された人として、扱う。もっと正確に言えば、私は彼を、暗黙裡に、進行中の対話、私自身との対話であり得るこの対話にとって、外部の者として定義しているのである… 私には、実在、宇宙を、私が私自身と続行している対話と比較すれば第三者であるものとして扱う傾向があるのである。宗教的な生は、このような関係が変貌することによって直ちに始まるのである。こういったすべてのことは、もっと深めてみなくてはならない。そこには、ほとんど探究されることのない世界が存するように思われる。として判断することは、この判断が表現する教え方や情報がどんな種類のものであれ、本質的に重要なことを示すものである…

 どのような条件で私は二人称を用いるのであろうか? ここでの要請は、(138頁)先に私が言及した要請とは逆のものである。私が二人称で面するのは、ただ、どんな仕方であれ私に応答することができるものと私が見做すもののみである — たとえその応答が、ひとつの《知的な沈黙》であろうとも。いかなる応答も不可能である処では、《彼》にとっての余地しか存しないのである。

 ゆえに、応答という観念は鍵である。

 私自身の私自身との二重の関係は、何処から〔生じるの〕であるか。

 すべての応答は表徴[signes]によっており、すべての表徴は、多かれ少なかれはっきりと出された問いへの応答であるようだ。問いと応答との間には、出会いの場が存しなければならず、この場は、問いによって選ばれたのでなければ少なくとも受け入れられた — これは同じことだ — のである。問いは、応答する者が応答の諸要素を其処で汲まねばならないであろう或る一定の略号[code]を含意している。そうでなければ、この応答は問いの外部に外れてしまい、応答であることを止めてしまうであろう。

 いったい、問うとはどういうことなのか? それは、相対的な無規定状態を修正しようと試みることである。すべての問いはつぎのものを含む:

 1° ひとつの選言的判断。

 2° 諸々の選択肢のうちの唯一つのものが真であり通用する、という断定。

 3° どの選択肢に決めるべきか判らないことが認識されていること。例えば、雨が降っているのか? — 雨が降っているか、いないか、この二つの選言肢のうちの一つが真である。どちらだろうか? このことが理解させるのは、(弁証法と呼ばれるものとは対照的な)交わりのひとつのあり方(?)[un mode de communication (?)]である。この交わりは、質問と応答によって成るものではないので、表徴[signes]の媒介によって果たされるものでもないだろう。この種の交わりは、いかなる暗号にも、いかなる略号にも拠るものではないから、どうしても偶発的なもののように生じるだろう。この種の交わりに、私はほんとうに啓示[révélation]という名を付けたい気がする。

 応答という観念の分析。

 どのような諸条件で応答は有効であるのか?

 一方で、応答は問いに充分関係せねばならない。別言すると、問いは理解されているのでなければならない(正確にすべき)。他方で、応答は、欲せられた明瞭化を提示しなければならない。最後に、この明瞭化は根拠があるものとして現われなければならず、任意なものであってはならない。つまり、応答する者は、彼にとっては二者択一は存在しないような状況のなかにある、と見做され得るのでなければならない(このことは、勿論、彼の反省が状況の実際の複雑さを判っていないことに因るのではない)。

 問いを理解するとはどういうことか? それは明らかに、先ず問いを自分自身に提起することであり、もっと言えば、(139頁)問いを発している者の心的な状況のなかに自分を置くことである。私は、私自身の問いにしか、言葉の全き意味で答えることは出来ないのである。答える者の意識は、問いと答えとの集会場[le meeting-ground]である…

 ところで自然は実験者の問いに応答しないのであろうか? もっとも、私が話題にしている出会いが生じる[ait lieu]場合のみのことだが。実験者の役割は、偶然で偶発的な、提起された問いそのものに正確には関係しないような応答を生じさせるかも知れないすべてのものを、振るい落とすことだろう。だから、問いは可能なかぎり曖昧さを除去されたものでなければならない。問いの曖昧さは、応答を解釈できなくするからである。良く練られた実験においては、すべてがあたかも問いが理解されているかのように — そうでないことはあり得ないかのように — 生起する。

 応答は、二者択一〈諸々の選択肢〉が存するような、もっと言えば、行動の幅[des marges]が存するような秩序においてでなければ、あり得ない。これを私は、「あるいは」[ou]の秩序と呼ぼう。これらの選択肢は、指名されることができるのでなくてはならない。そして応答は、受け入れられなければならない選択肢を強調しに来るのである。応答はこの意味で本質的に印あるいは信号である。気づかねばならないのは、この〔受け入れられた〕選択肢は有用性をもたねばならないことである。この選択肢はひとつの獲得を意味する — それは我々が少なくとも或る一定の限界内で使用することが出来る何ものかである。なぜなら我々はそのものと合体したのであるから。反対に、応答ではないすべての知は無益なものであることを人は示すことができよう1。〈1. それにしても、これはなおも知なのであろうか?〉

 問答[la dialectique]が可能である世界は、ゆえに、分化した諸経験の世界であり、経験相互が補完し合うことのできる世界である。私が時間の瞬間、そして空間の一点固着して[attaché]いる程、私の経験はどうしても《充実》[≪erfüllung≫]を必要とする。すなわち、問いと応答とのシステムの媒介を必要とするのである(これは感情の秩序とは反対のものである。そこではこういった言葉は何の意味もない。もっと一般的に言えば、私が在り方の秩序と呼ぼうとするものとは、反対のものなのである)。

 客体性は、ひとつの問答システムが現実に存在することと結びついているが、逆に言えば、このシステムがひとつの客体性を想定しているのである。それにしても誰が、客体性の絶えざる強化であると言われるような客体性のことを言うだろうか。たとえば、特急でローマからナポリへ行くのにどれだけ時間がかかるか、私が尋ねるとする。私の問いはつぎの断定を前提している、すなわち、ローマはナポリと鉄道で結ばれているのであり、そして、(140頁)これこれの条件で旅程をこなすには一定の時間を確実に要する、という断定を。このような問いは、予め事実(私が「」と呼ぶもの)において答えられているものとして自らを提出するのであるけれども、その答えを受けとることができるのは、ただ問答〈対話〉の途によってのみ、「」の媒介によってのみなのであり、つまり、もっと広くて補足的な経験との交わりに入ることによってのみなのである。生活が私自身に呈するよう私に強いるすべての質問は、まさに斯くの如きものなのである。例えば、「私の腕時計はどうしたんだろう?」この問いは、自分が事実において答えられているものであることを知っている。すなわち、私の腕時計は何処かに在るのだ。さて、多分私は、私がその腕時計をどこか思いがけない場所に置くのを見たであろう誰か(ひとりの)に尋ねることができるという機会をもつだろう。ところでこのは、私の経験そのものが最初忘れられていてその後突然蘇ったものであり得るのである。独り言は、ただ対話を単純に真似ているのではない。あらゆる対話が、意味ゆたかな[fécond]ものであるためには、ある一定の瞬間には独り言とならねばならないのである。そうでなければ、問いと応答は、出会うことはないだろう。出会いというものは、ひとつの理解のなかでしか起こり得ないのであるが、一方では、この出会いそのものによってこそ、理解は定義されるのである…

 この出会いは、実際には、自らが規定されていないものであることを知っていたひとつの判断を、規定することである。しかしこの、自らを規定されていないものとして知っているということは、単なる判断の限界を越え出ているのではないのか? この自己知は、既に反省である… 問うことは、現実態となった反省である。ならば、何がこの反省を惹起するのか? この反省は欲求あるいは意図に結びついているのではないだろうか。私は自分の腕時計を見たいのだが — 見つからない。この、与件に関する欲求軋轢こそが、私に反省を強いるのであり、この軋轢こそが、可能態としてのこの反省なのである。つまり、反省とは、《自分にたいする》この軋轢なのである。だからすべての問題は、《しなければならないのだが… しかし私はできない》を含意しているのである。この《しなければならないのだが》なのである、これが留め具を外して始動はされるものの直ぐに抑止される行動を伴って、「私はできない」ということ、私が自分の意のままにできる必要手段を有していないことを、確認するよう私に強いるものは。

 これらすべてのとても基本的な考察は、形而上学的な観点からすれば、大きな重要性を持っているのは明らかだと私には思われる。応答があり得るのは、問いそのものが問いとしては実際には自己消滅する場合のみである。そして他方、すべての理論的断定は、こう言ってよければ、諸々の問いと応答との集合の上に成り立っているのであり、〔その場合、〕これら問いと応答の詳細は捨象されているのである。そして同時に、すべての理論的断定は、ひとつの無限な質問事項の、あるいは、無限にある質問事項の、出発点なのである。付け加えるなら、主体がこの理論的断定に寄せる関心のみが、この断定が惹起する諸々の問いのなかから、主体に〔或る問いを〕選ばせるであろう。

(141頁)

 それにしても、はっきりしていることは、我々は抽象のなかにいるということだ: 誰が問うのか? 誰が応答するのか?… 気づくべきなのは、我々が理論的な秩序において高まるほど、この問題はその意味を失うということだ。対話〈問答〉は、こう言ってよければ、非人格化される(例えば、形而上学者がひとつの反論を予想し論じるとき、誰が? という問いは何の意味もないものである…)。だが、思考の低次元においては、応答は、こう言ってよければ、明瞭にされていない脈絡に粘着しているのである — この脈絡が、抽象〈捨象〉されなければならないものなのである。出会いの土地は平坦化されていない(例: 《あと五分で到着ですよ》と都会人に言う山岳人)。この平坦化〈平均化〉は、繰り返し言わねばならないことだが、すべての真の客観性(うまく作られた暗号の必然性、等)の条件である。

 重要なことは、この「誰が?」という問いは、独り言と私が呼んだものにとっては、考えられるどんな次元でも、絶対に示されなくなる、ということに気づくことである(自分の感覚について自問する心気症者の次元でも、自分自身と議論する形而上学者の次元でも)。「私が」[le je]は、まさしく、この、「誰が」[qui]という問いを出すことの拒否に応ずるものである。なぜなら、《その場処ではない》≪il n’y a pas lieu≫からである。高度な反省のみが、この応答の秩序の客観性そのものを疑うだろう。このことはもっと正確にされねばならない。だがこのことは明らかに、「誰が」という問いを発しないのが不可能であるような領域のことである。すなわち、証言という秩序のことである。それなら、これは、重さ、保証、署名の問題である(繰り返すが、反省によってのみ、この〔反省という〕方法を私自身に適用することによってのみであろう、私が私自身の署名の価値を自問するのは 1)。〈1. だが、このことによって、私は自分を私として扱うことを止めるだろう。〉 「誰が」ということは、ゆえに、本質的にひとつの署名、ひとつのスタンプ、ひとつの識別印であり、その価値は在らねばならないが、自発的に問われることはないのである。子供はおそらく、人が彼に言うことを信じることから始める。対話はひとつの独り言であり、子供は他者の応答を自分の応答のように扱う。一方、大人は — すくなくとも学者は — 自分の応答をひとりの他者の応答として扱うだろう。「誰が」という問題は、ゆえに、信頼性〈信用性〉の問題であり、そしておそらく、この問題は実際には最初に、受けとった応答と期待していた応答との間の不一致が存するかぎりでしか、呈されないだろう。

 応答の絶対的な[marque]という観念〔が考えられ〕、この応答は現実そのものであろう(至高な、基準である)。この印を帯びるものすべては真である。この印こそが真理を告げることを、人は根本において承認するだろう。(142頁)しかしここで正確にせねばならない。普通の応答が我々に現われるのは、(正しいにせよ違うにせよ)何が存在するのかを示すものとしてである。ゆえに我々は、事実と、事実に関する応答との間の、差異を呈するのであり、この応答は我々によって、その事実[lui]と我々との間の媒体として取り扱われるのである。この差異は、いつか無くなるのであろうか? そうは思えない。いつも我々は、媒介する行為を目撃する。科学実験の場合には、媒介者、質問者として機能するのは、実験そのものである。「事実」は我々にとって、ひとつの純粋な「」であるに留まり、「」ではない。言い換えれば、「現実」は我々にとって、けっして答えない或るものとして定義されるように思われる。しかしこの或るものからすべての答えは汲まれねばならないのであり、誰かが自らの友人に調子はどうかと尋ねるという単純な場合ですら、そうなのである。ここからひとつの新たな問題が生じる: いかにしてこの現実は、この純粋な「」は、応答を養い、誘発し、あるいは単純に言って、許すのだろうか? 最も興味深く、最も決定的な場合と思われるのは、問いが個人的な経験に関するものである場合である。私が誰かに、《あなたは満足ですか》? と尋ねるなら、私の問いはそれ自体、事実において応答されているものとして生じているのである。応答は、私の選言命題[disjonction]の中にひとつの規定を導入しようとするものである。《事実》は、応答に先行して存在するものとして思惟されており、この応答の機能は、この事実を解放するか、もっと言えば小売りすることにあるように思われる。しかし、ひとつの応答を求めながら、私の問いは、自らが理解されていることを想定している。私の問いは、自分自身と応答とが出会うだろうという要請[postulat]を含意しているのである(ここには、満足という観念の同一性がある)。ゆえに、問いは、ひとつの理解力のなかに正確に映し出されているものとして呈出されているのであり、この理解力は、問いを事実(《彼》)と突き合わせて、事実を応答の形にして小出しに提供するのである。明らかなのは、この突き合わせこそ、定義するのが重要なことであろう、ということだ。私の問いは、他者が、自分は満足だろうか? と自問するようにすることに向けられている。だが、どのようにしてこの他者は自分自身に応答するのだろうか? どのようにして純粋な彼は、自らを解放して、いわば、問いの前に進み、問いに応答するのだろうか? もっと言えば、どのようにして純粋経験は自らを対話法〔すなわち問いと応答〕の中に差し入れるのだろうか? この純粋経験そのものが質問されねばならず、ひとつの《汝》となり、応答しなければならないのではないか。それにしても我々はひとつの無限後退の中に拘束されてしまうのだろうか? 純粋経験(存在様態)のこの応答それ自体は、どうやって産出されるのだろうか? 記しておくことが不可欠であると私に思われるのは、このような特殊な場合においては、この応答は是が非でも産出されるわけではないだろう、ということである。すなわち、純粋経験は応答するのを拒否することがあるかもしれないのだ。だが、純粋経験が拒否するにせよしないにせよ、明らかなのは、純粋経験が言わば転向させられて、純粋経験自体が(143頁)人格へと変えられる必要がある、ということである。〔そして〕この人格が、問いを発する意識と出会う場を持つか、あるいは反対に、持たないかなのである。少なくとも、この人格〈あるいは意識〉は、この出会いの場が存在するか否かを認めるための反省は充分に出来る。いずれにせよ、問いはひとつの呼び掛けとして、聞かれるかもしれないし聞かれないかもしれない合図として、働く。ここに、私が分からないので私は答えられないという場合を熟考する理由がある。呼び掛けは放たれた、だが何も答えない。反対に、もし対話者が知っているなら、彼の(客観的な)知は、答えるへと変換されるのである。私が、デカルトはいつ死にましたか? と質問されるとする。一六五〇年です、と私は答える。このことは何を意味するか? 答えているのは事実そのものではない(永遠な真理、全くの)。〔答えているのは〕対話者に変貌する限りでのこの真理なのである。さらに自問すべきである、永遠な真理とこの真理のひとつの認識との間には、設けられるべき区別が存しはしないか、と。だが、この問いそのものはうまく呈示されてはいない。深めなければならない。気づくべきことは、デカルトは一六五〇年に死んだとかプラハはボヘミアの首都であるとかいう真理は、あり得る問いへの答えとしてしか定義され得ない、ということである。私はプラハがボヘミアの首都であることを知っている、と言うことは、本質的には、ボヘミアの首都はどこですか? という問いに私は答えることができる、と言うことなのである。ゆえに、ひとつの知(誰かの知)は、かくかくしかじかの状況において提供することのできる諸々の応答の集まりとしか見做され得ないのである。真実な知とは、当然のことながら、ひじょうに多数の様々に異なった状況において利用できる知のことなのである。だが同時に、この知は現実態であると言うのは不適当であるように思われ、この知は可能態でしかないと主張するのも言い過ぎであるように思われる。中間の概念が見いだされるべきであり、すなわち構成されるべきである。この意味においてなのである、知は力であるというのは(他方で私は示した、応答はひとつの印、すなわち合図であり、この合図は利用され得、行為を方向づけることが出来る、ということを。この行為とは、ここでは認識の爾後的進歩のことである)。

 私が気づくのは、ここまで述べてきたことに、想起の努力の本質に関する問題のような、最重要な諸問題が結びつくことである。私がひとつの忘れた名を探すとする、つまり、問うとする。私はその名を、ここで現実と私自身との間の媒介者の役をする辞書のなかに探すことができる。私は、私の問いが答えられるものであることを知っている(例えば、私は「救われたローマ」の著者の名を見つけださないが、この著者が実在し、ある名を持っていることは知っている)。だが、私自身への私の呼び掛けが聞かれるようには思われない。それでも私は、自分が(144頁)知っていた(つまり、もしかしたら知っている)ことを知っているものをしか、思い出そうと努めることはないのである。最初に提出された問いには、何かが答えねばならないのではないかと思われる。すなわち、《現在》が、もっと言えば、《我々にはそれが有る》〔といったもの〕が、〔答えねばならないだろう〕。つまるところ、この呼び掛け〔:この問い〕は、模糊とした内面の多様なものに向けられているのであり、この多様なものは、私の恒常的な「」なのである(この汝は、私がこれを私と呼ぶのでないかぎり、あるいは — 化け物じみているが — 私の私と呼ぶのでないかぎり、「彼」に変換されることはないだろう)。最初の応答が発せられるのは、この多様なものからであるように思われる。そして続いて、あたかもこの内面的な多様なものが私のために、記憶が立ち現われて「私だよ」と言う瞬間まで探し求めてくれるかのように、すべては成り行くのである 1。 〈1. 忘れられた記憶とは、声が出ない記憶のことである。 1925年の覚書。この探索が何から成っているのか、もっと詳細に調べなくてはならないだろう。この探索は、それを表面に浮かび上がらせるのが問題であるところの要素との関連において、一種の自己再調整をすることである。〉

 要するに、ひとつの科学実験のようなものが行なわれるのではないかと思われるのだが、問うていた当事者は、自分の呼び掛けを放った後即座に、その実験に参加するのを止めるのである。それでいて、極限において応答は直接的〈無媒介的〉なのである 2。 〈2. 再調整が不必要である場合。内面の多様なものが、求められている要素が第一面に来るように自発的に整えられる場合。〉

 弁証法〈対話法〉的観点 — これは実験〈経験〉の観点でもある — からすれば、つまり、思惟〈思考〉が問いと応答とによって前進するような世界においては、「純粋与件」というものは存し得ないことになる。つまり、いかなる問いもいかなる応答も含まず許容しないような純粋与件のことである。この「直接なもの」、これは純粋に無意味なものであろうが、この直接なものは、弁証法〈対話法〉のなかには何処にも入り込むことができないのである。そしてこの弁証法もまた — 定義からして — この直接なものから生じることはできない。しかし言うまでもないことだが、このことは全く抽象的な世界に関して言われているのであり、そのような世界を〔実際に〕享受するということは不可能であろう。

 享受においては、媒介するものと媒介されるものとの同一性が存するように思われる(「」が「」と混ざっているのであり、汝が両者の一つの表現でしかないどころではない)。私は物の記号とではなく物そのものと「交わり」 3〈3. 一九二五年の覚書。— この、交わり[communication]という術語は、もっと後で見るように、全くもって不適切である。〉の状態にあるのであるが、このこと自体によって、物は単に理論的意味での物であることをやめるのである。〔つまり〕物は意味されるものであることをやめるということである。この意味においてこそ、芸術は、愛と同様に、啓示なのであり、芸術は〔神的な〕賜(たまもの)を内包しているのである。ところで、全くの単なる「」においては 4〈4. 一九二五年の覚書。— より正確には、「」との関係が存続し、ある「」に関する干渉を内包する関係が存続するすべての次元において〉、賜の問題は存しないであろう。そしてこのことによって明らかとなるのが、我々がそれによって客体の独立性を断定するところの行為の本性である。我々は、客体が我々に差し向けられているとか、我々が客体のために存在しているとかいうふうには、認めない。反対に、(145頁)芸術作品は、ひとつの単なる物(ひとつのカンバス、黒く汚された紙、等)ではない限りにおいて、我々に向けて本質的に方向づけられている。芸術作品は自らを我々に啓示するのである。作品は我々を当てに〈我々に配慮〉している。つまり、我々は作品のために存在しているのである。ここには、合目的性の問題への、ひとつの興味深い移り行きが存するのである。

 

 一九一八・八・二三。

 「」としての判断においては、主体の役割を演ずるのは、状態の直接性(主体の不在 — 主体への無関連、《無関連性》)である。このことは正確に述べなければならない。「私は疲れている」。〔ここには〕純粋で単純なひとつの感じ[un feeling]が、すなわち、ひとつの絶対的なものが存する。あるいは、ひとつの絶対的なものを模倣する何か、関係づけられず媒介されない何かが、存するのである。「」としての判断においては、正確には、この無関連こそが、「」の役割を演じ、この無関連に、述語となった「感じ」が関係づけられているのである。そういうことであれば、人は次のように対話するわけだ: 《誰かが疲れている。— 誰が? — 私》。このやりとりは、もしこの《私》がもうひとりの対談者、この者にとって《私》は特別な誰か、つまり斯く斯くの者であるのだが、そういう対談相手に向けられていないものであるのなら、〔このやりとりは〕何の意味も無いものだろう。そして、私が私自身にとって斯く斯くの者になるのは、私がその者にとって斯く斯くの者であるところの他者という媒介者観念によってのみなのである。原理において厳密には、私は絶対に、私にとって斯く斯くの者であるのではなく、「」は、斯く斯くの者の否定そのものである。このことによって明らかに生じるのは、「」とひとつの思惟一般(カント派の思惟一般)との間に実在するところの、少なくとも外面的な類似である。もちろん、この思惟一般もまた、斯く斯くの思惟ではなく、あらゆる判断がそれに拠るところの思惟である。

 だが、この「」は常に、それにとっては私自身がひとりの「」であるところの、ひとりの汝に面して[en face d’un toi]、自らを措定するもののように思われる。そして、まさにこの対話との関連で、まさにこの対話との比較において、ひとつの「」が、即ちひとつの独立した世界が、あるいは少なくともそのようなものとして—多分想像上で—扱われる世界が、定義され得るのである。ここに、ロイスの三元論[trialisme]の深い射程がある。この三元論は、充分に明示されなかったように私には思われるのである。あらゆる独立した現実性は、と私はもっと理解し易い言葉で言うが、ひとつの第三者として扱われ得るし、そう扱われなければならない。そしてもし、ひとつの第三者はひとつの対話を想定しているとするならば、あらゆる対話はひとつの第三者を自らに与えるものだと言うことも、そのことに劣らず真である。

 私が垣間見るように思うのは、純粋な対話法が愛へ向かうゆっくりとした経過のようなものである。〔その経過においては〕「特定の汝」[le toi]がだんだん深く「あるひとつの汝」[un toi]となるのである。実際、この特定の汝は、本質的に「あるひとつの彼」[un lui]であることから始めるのであって、この「彼」は、もしこう言うことが出来るのなら、「汝」の形式しか持ってはいないのである。私が鉄道列車のなかで一人の見知らぬ人に出会うとする。我々は、気温のこと、戦争の報道のこと、等について話している。だが、私がこの人に向き合っている間ですら、この人は、私にとって《誰か或る人》[≪quelqu’un≫]、《そこに居る人》[≪cet homme-là≫]であることをやめない。彼は、まず最初に「斯く斯くの人」[un tel]なのであって、この人について私は(146頁)少しずつ、その経歴を、彼の取り巻きや隣人たちを、知るようになるのである。そして、彼が私にとって斯く斯くの人である限りは、私は私にとっても斯く斯くの他人に思えるのである(このことが深く理解させるのは、「自分を意識している」[self-conscious]という英語の表現の意味である)1。〈1. 一九二五年の覚書。— 概ね、私の話し相手が私にとって外面的であるほど、私も同時に、その程度に応じて、私自身にとって外面的であり、私が意識するのは、私であるところのものではなく、私の性質あるいは私の誤り、私の特徴、といったものなのである〉 他人は自らを私に、私のものである諸記号と〔いわば〕交差するところの諸記号によって、伝えるのであり、それだけのことなのである。だが、〔ここで〕生じるかもしれないことは、次第しだいに、私は私自身と対話していると意識する〔ようになる〕ということであり(このことは、他者と私とが同一であるということも、それどころか私には同一に見えるということさえも、全く意味しない)、すなわち、次第しだいに、かの絶対的なもの、《非関係性》[unrelatedness]であるところの絶対的なものへの、参与が為されるということなのである。つまり、我々は次第しだいに、斯く斯くの者、斯く斯くの他者であることを、やめるというわけである。我々は単純に《我々》なのである 2。〈2. 一九二五年の覚書。— このことに結びついているのが、かの経験、〔すなわち〕汲み尽くされない富の経験、永続的な《再び(アンコール)》の経験であって、この経験は倦怠の反対そのものなのである。そしてこのことに気づくことは、持続[la durée]について作らなければならない概念にとって、大変に重要なことなのである。〉 哲学の古い言葉では、「それは私にとってどんどん客体ではなくなってゆく」、と言ったことだろう。だがこの表現の仕方は曖昧で理解しにくいと私は思う。私の愛する存在は、私にとって第三者であることが、可能な限り少ないのである。そして同時にこの存在は、私を私自身に露わにする。というのも、この存在の現前の効果は、私が私にとってどんどん「」ではなくなってゆくようなものだからである。私の内面的な防御は、私を他者から分離する仕切りと一緒に崩れるのである。(つづく)