ヤスパースの「昼の法則と夜への情熱」という、ぼくがいちばん引っ掛かって(惹きつけられて)いた章節を翻訳したが、太古の昔から、ぼくが集合容喙現象とよぶ経験はあったのだろうと、ぼくは確信している。旧約聖書に記載されているような現象経験なのだ。それが問題の章節の締めくくりとして述べられている。これをたしかめてぼくは安堵した。そういうものなのだ。あれこれ詮索し対処を工夫しても仕方がない。人間には解らず、責任のとりようもないものなのだ。この章節の結論が、ぼくの経験でもあるのだ。正誤を超えて じぶんを生きるよりほかのことは人間にはできない。再読訳してよかったとおもう。