ぼくには、身内であれ、知人であれ、殺してやろうと思う者が何人かある。そういう気持は歳を重ねて減退するどころか、ますます奥深く強く本気のものになる。ぼくは通常の日本人とは異なる人間生成の路を生きているらしい。そういうぼくが思うのは、そういう気持があるかぎり、ぼくは生きるであろうし、愛を知る人間として生きるだろう、ということだ。どうも一般の日本人たちこそ、正しい「人間になる路」から、歳とともにどんどん逸れているようだ。これは当然のことだとぼくは思う。若い時から、人間になることを、世間との妥協のために諦めて、世間教に〈生きて〉きた者たちだからだ。

 

 

「ますます自分になってゆく者」にとって、ぼくの在り方は当然のことだ。