精神と情念のダイナミズムをそのまま認めるのも宜し

 

日記

2022-12-30 11:25:05

 

冷静なときには冷静な文章が書けるが、怒っているときには怒っている文章しか書けない。論理的基準というものはその真理性の判別には無力なものだ(論理的であれば通用させるだけだから)。それが解ったなら、冷静なときには冷静になりきり、怒っているときには怒りになりきることしか、人間にはできない。そしてそれで人間には充分である。偽りの一貫性にこだわる必要はない。作品として纏めようとするなら別であるが、日記にはそれは要らない。人間の精神と情念のダイナミズムに自覚的であれば、その時々の状態に従うことで矛盾は無い。 この欄で書くものは清澄なもののみにしたかったが、読み手に得る何かがあれば良いとしよう。なにせ、もうひとつの欄で書くものには、表示にみるかぎりでは、読み手が殆ど全くいない現状であるから、同じ文をここでも紹介するの止むなきに至った。

 

 

平静さと怒りの差は、精神的にみれば天地の差であるが、身体レベルでは僅かの紙一重の差であり、ちょっとした身体状態の一時的変容で、人間は天地の間を行き来する。