日記

2022-12-27 18:25:39

 

単に抽象的なもの、あるいは表象的なものへの没入においては、精神は根こぎにされている。だから、その状態において、人間はあれほど敏感に、怒りやすく、あるいは高慢になっているのである。余裕が無くなっている状態なのである。

 

真なる哲学的思索の状態は、そういうものではない。根源に沈潜し、根源に捉えられている。

 

 

 

(マルセル「形而上学日記」はそのような根源的反省(潜心)に促す稀有のものであり、ヤスパース「哲学」より遙かに観念性から脱していて、直接なものに迫っている。両方とも、それぞれの意味があり、両方とも必要であることに気づく。)

 

 

(マルセルは、ああいう戯曲を書く一方で、純粋に時間と空間の哲学的反省をする。だがこの両方は深く繋がっていることが感じられる。マルセルの戯曲創作は、かれの時空理解の実践ともいえるから。予言と同様の神秘的な創造行為なのである。「形而上学日記」第二部最初。)