身内の成長した子供をみて教えられることはそれだ。こんな人間が出るために自分の身を削ることは、人生を真面目に生きることとは反対のことだ。子育ての実体は、そんなことに自分を忘れる程度の人間だけが受け入れているのだろう。

 

 

かんがえもなく子供をつくるものじゃない。それだけで人間失格。真面目に人生をかんがえない者のすることだ。

 

 

世間や社会の云うことに惑わされるものじゃない。

 

親である人間も変わってしまう。というより、変わる程度の人間であることが判明する。 ほんとうの人間は子を持つ持たないで変わるものではない。

 

 

 

その身内の成長した子供は、じぶんも子を持ったが、「おまえは子供ができたら変わった」、と相手から言われて離婚された。かんがえるのは物のことだけで、周りの身内を裏切ってばかり。子供のことで人間精神も正しい人生観も裏切るようになった例である。じっさいにもそういうのが殆んどだろう。子は鎹(かすがい)などではなくその反対だ。

 

女性の本能欲求に男がしばしば反対し抵抗するのは、そうとう、人間として生きるという正当な精神的欲求から来ている。

 

 

その純化された極限が修道生活であり出家であって、人間が人間であることを自覚した太古から、人間はその欲求を、世俗生活とは別に生きてきた。

 

 

日本には相変わらず、だらしない表情をして、〈子供をつくりませんかぁ、世界観が変わりますよぅ〉などと他人様に無節操に言う者がある。なら それを修道団や出家僧たちの処へ行って公然と言え。そして返ってくるものを経験せよ。