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端的に言っている。忘れてはならない。いまの状況で全くものを言わないことはできないが。

 

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さて、ぼくは最近、世の批判ということをめったにやらなくなった。つまらないことをつまらないと論理的に論じても、やはりつまらないからである。そういういみで、社会を批判する学者の行為も、謂わば消極的に有益ではあろうが、やはりつまらない、と、はっきり言っておく。ほんとうに創造的なものは、そこにはない。実存を思惟し論じる学者の行為も、やはりそうである。ぼくはもうそういうことは、社会論であれ、実存論であれ、卒業しているつもりなのである。つまり、一般に学者の営為を卒業しているのである。ものごとを一般的に扱っているかぎり、創造ではないのである。学者の生活は学者のそれであるかぎり、創造ではない。ぼくの気づき覚醒した創造ではないのだ。思ったり論じたりする問題がぼくにないのではない。むしろありすぎる。しかしそれを扱ってもつまらないのだ。そういう否定的想念を吐露するより(ときどきそれをしたくなるのだが、同時にしたくなくてやめてしまう)、曲の部分でも理解し自分のものにしたい。これがどれほど創造的であるか。世間を相手にするなど全く問題でなくなる。自分のみを相手にすることで、その堅実堅固な世界で、まったく充足してしまう。音楽は、「もの」を通しての完全に実現された「自己との対話」なのだ。精神的存在である人間は、まさにこのようなことのために生きているのだ。それは、実際にやってみてはじめて解ることなのである。 くだらない世相や世人のことは、もちろんぼくは感じ知っているが、そんなことをじっさいに書く気は、いまのぼくには もう起こらなくなってしまった。