自分の路と思える路を、信じてみて、試みる。

 

ほんとうにこれで善かったのかを知るために。というより、もうこの路しかないのだから。

 

 

(ぼくがじぶんの人生に信頼するのならば、他人の想像に振り回されることもない。)

 

 

 

これとは別に、じぶんの運命をじぶんで決められない国民たちに、ぼくは同情や責任をもてない。日本人の20%しか生き残らないなら、その20%で充分、とぼくはおもっている。国が強制することには、ぼくは革命的に反抗する。そのときは反抗するのはぼくだけではないだろう。西欧人よりも反抗するのが日本人だとぼくは思っている。万が一そうでなくとも、ぼくだけは反抗する。ぼくの運命を歩いてきたのにくらべればたやすいことだ。

 

 

普段従順な日本人は、ほんとうの強制には屈強に抵抗すると、ぼくは思っている。それが、これまで強制が必要なかった日本人の情緒絶対主義の裏の意味だ。 いまの世界は気が狂っている。