初再呈示

 

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じぶんに向き合えない者、というより、向き合えるだけの自己を培ってこなかった者は、容易に、「無」や「空」に、つまり「観念」に、逃げる。それらに〈神〉を置き換え得るくらい、「神」がわかっていない。神と向き合えるくらい自己を培わなければならない。そうしない者は、すこしも人間として魅力がないからである。内実と実体がないからである。観念だけの者をどうして相手にできようか。 

 

〔「観念」という言葉は、論述の時と場合に応じて意味を変化させて使われる。〕

 

 

 

「普遍は観念ではわからない」 と高田先生がいうとき、どれだけの者が、実証的な確かさで、即座に首肯できるだろうか。