富というのは物質的なものばかりではない。精神的な富も問題なのではないか、と思うのだ。一輪の花に愛を注ぎ込めるためには、あまり多方面な精神的富を蓄えていてはならない、という気がするのだ。貧しさこそは内部からさす光である、とは、精神的な飢えが愛のゆたかさには必要だ、という逆説であろう。 大事なものがあるのだったら、教養だ何だといって無理して欲張らないほうがよい。 

 

 

 

もうひとつ。 世界は一つであるなどと安易に言ってはならない。それなら、世界はまずぼくに謝れ、とぼくは言った。世界とぼくの間にはそのくらい深淵がある、ということである。これがほんとうではないか。ぼくが宗教的に対面するのは超越者であって、世界ではない。世界で完結するなら超越者は要らない。世界は故なき苦の限界状況だ。どんなに苦しみを受けたことだろう。和解するには世界はぼくに謝らなければならない。ぼくの魂を知れば謝るだろう。それが一つであることの第一歩だ。 

 

 

 

世で良いと云われているものにも、余計で不自然で、じぶんの心に素直にさせない想念が多いんだよ。そういうものを取り払うのがこんなにたいへんだとは。 

 

 

 

そういうことを思ってさ、虚心になってきみの演奏を聴くきょうは、きみに再会したような良さだよ。