ヤスパースの文章は短い節であっても深い精神的慰めを得させるものがある。つぎの節などであるが、よく読めばすべての文章がそうでありうる。

 

 

 死は、なるほど、事実としては、私の時間現存在の単なる終止である。しかしながら、限界状況としての死から私は自分へと突き戻されるのである。そして、私はひとつの全体であって、単に終わりであるのではないのではないか〔と問うのである〕。死は単に過程の終わりではなく、私の死として、私の全体存在への、つぎの問いを仮借なく呼び出す。すなわち、今となっては私の生は生成し終えてしまい、過去のものであり、未来はもはや過程としては存在しないのならば、私とは何であるのか? という問いを。

(III.89)