副題である。美について魂と関わるものとしていろいろかんがえるようにさせてくれたのは高田博厚なので、「魂とは美と愛と信仰である」というじぶんの嘗ての言葉に納得もさせられて、副題を「僕の美と愛と信仰」と改めた。ながらく「僕の愛と美と信仰」としていたが、これでは羅列的だと気づいた。高田さんに思索的に触発された「美」への問いと関心がまずあり、これが「愛」と「信仰」の問題としても展開すると発生的に位置づけることで、高田さんへの関心が再び熱を帯びるものとなり、ぼくも統一的となった。これがほんらいの(ヤスパース以後の)ぼくらしい意識態度なのだ。ぼくは集中性を再び得るようになった。 

 

 

 

欄の主表題はこのままで内実蓄積をしてきている。