初再呈示 

 

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相も変わらず、自分軸とは名ばかりの、人生を或る法則で解決して乗り切ろうとする、見かけの一般主義、実体の体験主義が、世のなかに蔓延っている。そこでは、自己の実体を正しく耕す者は、ただのひとりもいない。彼らにはほんとうの友もできなければ、真の愛も培えない。ぼくはこれを断定するが、一般の者というのは、互いに偽物どうしで、人生を渡ってゆけるのだろう。 人生には、いかなる法則も存在しない。法則があれば、科学の対象としての自然のように、人生すなわち人間は、法則で押さえられ、そのかぎりで解決できるものとなるだろう。ところが、いかなる法則にも限界があり、人間というものは未解決にとどまる存在であることを、知ることこそ、真の自我探求の前提なのである。この前提にも達していないのが、殆どの日本人であると言ってよい。ヤスパース的に言えば、人間は、どこまでも、知の対象であることを踏み越えるひとつの包括者(ein Umgreifendes)なのである。

 

自分を導くのは法則ではない。自分自身が導くのだ。換言すれば、法則という光が導くのではなく、自分自身という闇が導くのである。辛抱してこの内なる闇に聞き従う者は、すくない。本物になる路はそれしかないというのに。