あくせくと勉強して じぶんと向き合わず、どれだけの者になるのだろう。 学など成らなくても じぶんを掘り下げればよいのだ。 

 

ほんとうの勉強とはそういうもので、いまやっているような日課ではない。ただ、日課という、形になるものを一方でやっていなければ、ぼくは不安なのだ。