ニーチェは、自己形成をしていない者が悦に入るような書き方をしている。だからぼくはニーチェ嫌いというよりも、ニーチェ読者嫌いなのだ。昔からである。破壊するニーチェに心酔するばかりで、創造的に真面目なところがない。こういう独断的(ものの一面しか映らない)批判家になることがいちばん危うい。ぼくだってツァラトゥストラは読んでいる。あれで充分だ。そのほかにも読まねばならないのか、あの調子のものを。頁を開いてもすぐ閉じた。ぼくに必要なのは、こういう段階に留まっているものではない。

 

 

無人島に一冊持ってゆくとしたら、エッカーマンの『ゲーテとの対話』だ、とニーチェは答えたと云うから、かれ自身は相当の教養人なのだ。ゲーテとニーチェの比較論が高田さんにもある。