現在、ウクライナとロシアで紛争があるが、その原因はウクライナ内での反ロシア的な動きが、外国勢力の介入のもとに、何年にも亘り積み重なったことにある、ということ、ロシアはこれをもはや放置できず、決断した、ということ、そういう紛争であると理解できる。ぼくがいま問題にしたいことは、紛争の経緯のことではない。毎日、数百人の、あるいは千人に迫る、兵士の死者が出ている。そういう、人間の殺害が日々行われている。この現実を意識することは、この紛争の状況を考える基本であると思う。兵士は兵士である前に人間であり個人であり、自分の人生を生きていた者である。そういう者たちが毎日おびただしい数、人生を身体の殺害により絶たれている。このことを意識するとき、どういう戦況の報告・分析も、その報告・分析がどのような立場の側から為されようと、それだけなら、どんな立場からのものであろうと、その報告・分析に関心を持って読み感想をいだく側もふくめて、きわめて気持のよくない気分、ほとんど霊的な内面的な責めの不快感を、各々、自らにおいて経験していなければならない。そういう内面的な不快感をあたかも覚えていないかのような、戦況の報告・分析は、どういう立場からのものであれ、人間的におかしいのではないか、というのが、じぶんへの反省をふくめて、魂的な違和感としてぼくがいま記し表わしておきたいことなのだ。