裕美ちゃん、これはきみにだけ書けばよい。それでもその意味は普遍的だ。音楽は生命であり、生命は無限の生命でのみある。きみが演奏しているとき、きみはこの生命の無限に参与し参加している。生命と、無限と、一つになっている。そこからきみの演奏の集中力と構成力が実現されている。ふつうの人間は、想像によってその次元に思いを馳せるだけだが、きみはその次元に実際に行っている。きみの力はそこからしか解されない。音楽は、きみの演奏は、信仰の実現・体現だ。ふつうの人間は、思いの信仰があるだけだが、きみの演奏は、信仰の信じるものが現実に存在することを証している。きみの演奏は真に超越的なのだ。だからなのだね、ふつうの人間にとってきみの次元は無限に彼方にあるように感じられるのは。ぼくは谷口雅春の生命の実相の真理を想起している。あれは、実際の生命の実相なのだ。きみが演奏でそれを体現しているとおりに。信仰すればきみの次元に入れる。それは「在る」から。きみはぼくに途方もない希望をあたえてくれた。現にあたえてくれている。なんときみはぼくにとって大きい存在か、そのことにぼくはなんとよく気づいたことか。

 無限でなかったら生命ではない。生命と信仰は一つだ。