休息とは、すべてから離れた自分を感じ確かめる一瞬である。そこに休息の充分な意味がある。

 

 

仕事や勉強、たいていの読書において、人間は自分を見失い、気ばかり焦っているだけである。自分に戻る一瞬がほしいのである。

 

 

 

ぼくは、小説家は自分を生きてなどいないと思うが、小説家のほうは、生きたい自分を生きているつもりなのだろう。そこが、ぼくとかれらの分岐線だ。どんなにいい小説でも、ぼくは長くはそのなかに潜ってはいられない。つまり、大部の物語である小説を読む習慣は、ぼくにはないし、欲さない。十頁くらいの物語ならありがたい。

 

 

 

マルセル戯曲の翻訳は一日一頁に限定しているから続いている。それでもぼくの固有性を生きる妨げになるので、はやく終えてしまいたい。