裕美ちゃん、これはよく、誤解しないように聞いてほしいのだけれど、学問も芸術もすべて重荷だ。そしてこれから逃げられるものをもっている者こそは幸福なのだ。ぼくは、重荷から逃げられるものをもっている者を、うらやましいと思ってきた。しかしぼくの路そのものが、ぼくには学問はもう前世で卒業したものであり、今世で追求するものは別のものであることを、ぼくに証してきた。ぼくが今世で追求するものは、愛なのだ。こうして、ぼく自身が、うらやましいと思っていたものを得た。重厚な芸術も、ぼくがほんとうに求めて満足すべきものではないようだ。それにはまだ欠けているものがある。精神的な魂をさらに超えた愛の魂だ。きみの音楽を聴くのは、ただの音楽を聴くことではない。愛するひとの魂に触れることなのだ。ぼくは今世での欲求を得たとおもっている。

 

ぼくはただきみの魂に祈る。そこにのみぼくの救いがある。

ぼく自身の、きみへの祈りいがいの支えは、ぼくには要らない。きみがぼくを思ってくれていると感じるのは、最大の恩寵であり、ぼくはそれを欲するけれども、このこととの間に矛盾は無い。ぼくの祈りのなかに、きみの応答を感じるかぎり、ぼくは独りであって独りではない。

 

 

 

ぼくは敗北者ではない。学問への欲求はあり、発想はある(それはそれとして書くだろう)が、どうも副次的なのだ。そして無際限なものへ自分を見失う不安を感じる。学問を超えた者が再び学問に留まると思うか。学問をやっている者でぼくより上の者には出会わなかった。