気づきと反省は同じことであって、気づいて反省したなら、半ば赦されたも同然である。希望と方向が生じているから。 もっともいけないのは、気づかず、ゆえに反省できないことである。 

 

気づくことができたということは、向こうの思惑とはかかわりなく、じぶんにとって恩寵である。

 

 

 

きょう生きることだけかんがえる。 人生の方向性があるということは、時間的なことではない。 

 

 

 

ぼくはどんなに些末にみえようとも、自分を探求してゆこう。