これを言うのが難しい。しかしきょう、このアルバムの感じが、聴いていて変わった。これを言うのが難しい。きみの弾き方というより、ぼくの聴き方が変わったのであることは無論そうなのであるけれど、それを梃子に、きみの(それ以前と比べての)弾き方の変貌の内容を感じ思惟するのも、不可避のことなのだ。ぼくの側ときみの側の、二つの変貌、二重の変貌を言わねばならない。 ぼくの側のことを言えば、ぼくが開始し、続けている日課によるぼくの知性の訓練と陶冶が、ぼくの聴き方を変貌させた可能性は大きいと思う。そのぼくが感知したかもしれない、きみの弾き方の変貌の核は、きみは一層知的に弾くようになったのではないかということだ。知的な緊張が一貫して際立って感じられる。その知性が、演奏に内容的な深まりを盛り込もうと奮闘している。そうぼくは感じるのだ。それがどのように成果を上げているのか、それはぼくのまだ言うことではない。この弾き方もある、ということははっきり言えると感じる。 

 

 

(同日の夜:あのピアノをこのように流麗に、まるで別の楽器のように弾きこなせるということ自体に、感動。楽器も、奏者によって進化するのですね。)