そうして、どうしてぼくがつき合わなかったかを自証する。飛ぶ跡を濁す者は、みずからの本性を明かしたのである。そして多くの者はその濁し水に同調する。これも本性の自証である。  

 

 

 

ところで、多くの者が同調する欠席裁判の手法は、そのまま戦争の原理である。戦争をしたいという動機いがいに、この手法の理由はない。

 

 

 

日常から戦争まで、欠席裁判に同調する大衆の暗愚が原因なのである。