マルセルの戯曲を訳していて、そのなかの、「良心的すぎるということは、一種の悪徳だ」、という言葉に、ずっと重いものを感じている。話の脈絡から、「真面目すぎること」と訳したが、原語をそのまま訳せば、「良心的すぎる」となるのがふつうだろう。良心的すぎる者は、じつは極度に自己中心的で、相手のことなど、配慮してはいないのである。キリスト教者や求道者には、この手の者が多いだろう。完徳、完徳、そればかりに とりつかれたようになっていて、じぶんは愛の実践に努力を傾けているつもりでいながら、じつは愛から最も遠いのである。向こうは、良心的であるつもりの人間にたいして、それをなかなか非難はできない。本人が、なにかおかしい、と感じとり、気づくしかないのである。ぼさっとしている人間には無縁の問題かもしれないが、意識の多い人間が一度は通らねばならない陥穽だろう。世界はね、あなたの良心を巡って回っているんじゃないんだよ。あなたほど、他人のことをかんがえないひとも、ましてや愛してもいないひとは、すくないんだよ。 

 

 

 

マルセルのいうコミュニオン(交心)は、別の次元にあるだろう。