2月21日4時55分に送信いたしました私の意見に付け加えさせていただきたいことがあります。

 従来の意味でのワクチンではない遺伝子作用未治験薬の接種は言語道断であるのでここでは問題としないとして、いま問題としたいのは、三密回避やマスクの習慣づけが、どれだけ人間の本来的在り方、すなわち「実存」を、疎外しているかということの、真摯な意識が、行政にはまるで無い、ということです。行政がすることといえば、最初から、医療機関、医者を大事にせよということだけです(それをメディアに鼓吹させています)。それを梃子に、社会と国民生活全体を機械的に統制する、そういうことを日本の行政も、まったく無神経にやってきました。これには、コロナ禍対策という純粋意図だけでは理解できないものが初めからあります。医療機関の維持や医師の生活も、他の社会組織や人間の生活と同様、大事でしょう。しかし医療機関や医師のために社会全体があるかのような当初からの行政の態度には、度を越したものがありました。社会的観点から見れば、医師たちは、かれらの生活の方途として、職業として、医師・医療の道を選んだのであり、それはほかの道を選んだ市民にたいして何ら優越する地位に立ったことを意味するものではありません。社会的な貢献の志を問題にするなら、一部を除いてどんな職業にも等しく志を抱かせる本質は厳存します。私が学者の道を選んだのは、学問の培う教養こそ社会で最も大事なものだと言えるという私の信念からです。どんな職業にでも、各々、そういう信念は抱くことができます。医師にも、消防士にも、自衛隊員にも、無数の職業の従事者に、信念を抱く資格と理由があります。メディアに、〈医師は尊敬したほうがよい〉などと鼓吹させるどういう意味があるのですか。自分で選んだ職業には、命を懸けるのは当然のことです。そういうことよりも、現在、危機にあるのは、人間の本来性、実存であることを、意識し、常に、人間の「自分」の本来的な在り方への配慮を忘れない施策を講じることが大事です。その結果起こるかもしれない国へのしわ寄せは、甘受すべきだと私は思います。いろいろ問題はありましょうが、そういう態度が基本的に大事なのです。その反対のことが、これまでされ放題になってきました。あまりにも言われてこなかったこのことを、ここではっきり申し上げておきたいと思います。


謹言