ねえ、ほとんどだれも読まないのに翻訳するって、どういう気持?

 

翻訳とはね、じぶんの言葉に鋳直すことなんだ。そういうふうに翻訳してはじめて、じぶんがほんとうに読んだという満足がある。このじぶんの満足感が、なによりの喜びだから、翻訳は自分に向っての行為だといえる。だから、読者数や人気など、ほとんど無関心の事柄となるんだよ。そうだろう。これは明証的な真実だ。読むとは、翻訳することだと気づき、以前に読んだのは読んだうちに入らないとおもっているんだ。