運命の愛を感じるからといって、この世で結ばれるとはかぎらないことを、学校で教えないなら、何のために学校があるのか。これはぜひ、心得ておいてほしいことだ。 この世は、この世で企てられること自体によって、運命の愛でも断つことができるのだ。この世においては。だから形而上的次元への覚醒が呼び起こされることにもなるのだが、この世では運命の愛も断たれること自体は、酷いことだ。運命の愛も、この世では、この世に勝てない。この世では、きれいな花があると、その花が運命的には誰のものなのかを頓着することなく、この世の都合と欲で、平気で簒奪してしまう。そして、運命の愛は、これに勝つ力がない。純粋であるほど、そうである。純粋な愛を覚える者が、その愛を護るために、世間知で動くものか。その純粋さのために、いつもまんまと世間の計略に負かされてしまう。闇討ちに遭うのだ。魂への配慮に集中している神や天使は、この世においては、この世に勝つことまで面倒をみてくれない。勝つといっても別の次元においてのことであって、この世での勝利ではない。その厳しさと酷さに、あなたは耐えることができますか。愛に油断しないことができますか。これいじょうの矛盾はない。学校や教科書はおしえない。 しかしこれはぜひ知っておいてほしい。