《「・・・国家は、その権力を用いても実現が不可能のことを、要求すべきではない。愛と精神によって実現されるもの、それは命令ずくで実現されるものではなく、国家は、そういう世界には手を触れないでいるべきだ。・・・天に誓ってぼくは言いたい。国家を道徳の学校にしようと思う者は、自分がどんなに大きい罪過を犯しているかを知らないのだ。いずれにせよ、人間が国家を天国にしようと思ったことが、国家を地獄にしてしまったのだ。

 「国家とは、生命の中核をつつむ固い殻であって、それ以上の何ものでもない。それは人間の花と果実に充ち充ちた庭園にめぐらす石塀なのだ。

 「だが、庭園にめぐらす石塀もなんの役に立とう、もし地面が乾ききっているだけならば。それを救ってくれるのは、天からの慈雨だけだ。

 「おお、天から注がれる慈雨よ。感激よ。おまえは諸国民の春をわれわれにふたたびもたらすだろう。国家の命令でおまえを呼び出すことはできない。ただ国家は、おまえが来るのをじゃましないでおればいい。そうすれば、感激よ、おまえは来るだろう。・・・黄金の雲の中におまえはわれわれを包み、この有限の世界を高く越えてわれわれを運んでゆくだろう。そのときわれわれは驚嘆して、たずねるだろう。このわれわれがかつてのわれわれ、あの見すぼらしい存在、星たちに向かって星の世界に行けば春があるのかと尋ねた憐れむべき者と同じ存在であるかを。――きみはたずねるのか。いつになったら、そうなるかと。・・・ 神性の感情が目ざめて、人間に崇高さを、その胸に美しい青春をもたらすときだ。それがいつであるか――ぼくにその予告はできない。ほとんど見当もつかない。だが、それは来る、きっと来る。死は生の先触れだ。そしてわれわれがいまこの病室で眠っていること、それが健康の目覚めの近いことを証明している。そのときにこそはじめて、われわれはわれわれの存在を確立する。そのときにこそ、真の精神をもった者たちの世界が見いだされる」》 

 

ヒュペーリオン 26-27頁