テーマ:

高田博厚は無論直接にロダンからだが、この文章から、とくに森有正が思想生活への影響をリルケから如何に受けているか、如実に確かめられる。ぼくにとっても繰りかえし読むべき文章である。

 

この文章に現わされているのは、無論、言葉の世界ではない。言葉を超えた世界である。

 

 


テーマ:

 

《 リルケは、1907年に獲得した自分の芸術手段を名匠のような確かさで用い、パリにおける「試験ずみの、仕事のための孤独」のなかでロダン流の「つねに仕事をすること」を実行し、意志と能力との釣り合いを、計画と実行との釣り合いをうまく保っていったが、これも全体として恵まれた精神状態のおかげで、『新詩集』の出版以後もさらに三年ほど続いたのである。 

 1908年の末、ひきつづいて『新詩集 別巻』が上梓された。この詩集の秀抜な抒情詩には、中期リルケの芸術様式(クンストフォルメル)が、誰にも凌駕しえぬほど完璧な成熟をとげて表わされている。1910年6月には『マルテ・ラウリス・ブリッゲの手記』を出版することができた。・・・ 

 1907年10月にクララ・リルケに宛てて書かれた有名なセザンヌ書簡をはじめとして、この数年間の手紙には静かな超脱と落ち着きが漂っている。リルケはこのずばぬけた画家と、その絶え間ない「実現(レアリザシオン)」の美事さとを擁護するための証言をおこなうのだが、しかしそうすることで彼は間接に、ときには直接に、かならず自分のことについても語り、また「外部からはもうほとんど脅かされることのないような無制限の、喜ばしい、そして根源的なゆたかさ」に至るための、独自の内面の道についても語るのである。数年前の、トルストイやロダンという大人物との出会いのときとはちがって、いまや彼には「セザンヌの絵画にみられる厖大な進歩に相当する例の発展が、すでにぼくの内部でどこまで実現しているのか」(1907年10月、クララ宛)と、自問することができるのである。》 

 

「リルケ」 ホルトゥーゼン、129頁

 

 

 

みごとな言葉と内容の文章を自分のために筆写。